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2011年12月07日 水曜日/05:57:00/ No.349
世にも奇妙な音楽人生

記事分類:つぶやき
先日、
世にも奇妙な本当の歴史/「神は我々人間が地球に来る事を待っている」
というオカルト全開の妄想記事を書きましたが(笑)、
ちょっと色々考えていたら、
またまた恐ろしい妄想に襲われたので(笑)、
ここで披露したいと思います(笑)。


光と闇
東京の音楽マンションに引っ越してきてから、ピアノ練習も充実し、
実に楽しい毎日を送らせてもらっていてありがたい限りなのですが、
なんというか、
なんか不思議というか、
ふと、
ピアノの音色というのは、
どこか不気味だなというか(笑)、
いや、美しすぎるんですよ(笑)、
で、この世のものとは思えないなぁとか、
誰がこんな複雑な鍵盤アクションを考えたんだろうとか、
かなり神々しい楽器だよなぁなんて考えていたわけですよ最近、はい。


んで、「音」とは何かみたいな事をボケーッと考えていたら、
」っていう単語が浮かんだんですよね。

んで、
闇っていうと、
対になっているのは「」じゃないですか。

んで、
光っていうのは目で見ると思っているはずが、
闇という漢字は、
音が門構えで囲まれているわけです。

これは一体どういう事か?

つまり、

音が無ければそれは闇で、
音があれば、或いは、
音=光
ではないかと思ったわけです。

そんな事を考えていて、
あぁそういえば自分はもともと目が悪いのだけれども、
確かに目が悪いが故に色んなものが「見え」たりするような経験を積ませてもらっていたなぁなんて考えていると、
つまり、
音が光である、
あるいは、
光とは音である、
という事が理解できてくるわけですが、
そもそも光とは何かを考えると、

おそらく、

光とは、
人生ではないか
と思えてきたわけです。

たまたま自分が音楽をやっている関係上、
わりと妙にしっくりくるというか、
ちょっと真剣にそこらへんを追求してみようとしたところ、

かなり恐ろしい事に気づいてしまったのです!!!



この興奮と感動を!!!!!
聞いてください!!(笑)


ねぇお願い!!
聞いてよトモコちゃん!!(笑)
聞いてよアユちゃん!!(笑)

(意味不明)



光と闇
んで、
音という漢字を眺めていると、
日の上に立つと書きますよね?

で、音が無い闇というのは何を意味するかというと、
陰であるとか、死のようなイメージが浮かぶわけです。
つまり、

音=光=生(人生)

であると考えた場合、

日の上に立っている(あるいは立たされている)のは自分ではないかと思えてくるわけです。

んで、「日」というのは、
すなわち、光=太陽、
すべての根源であるというような意味があるように思えます。

音楽・楽器

日の上に立たされている自分は何者かというと、
別にたいして何者でもないと思いますが(笑)、
とりあえず、
何者かを表すために氏名があり、
あ、そういえば、「昏」なんて漢字があったっけなぁなんて思いつつ、
音楽を奏でるピアノやギターやドラムなどの楽器についてふと考えてみると、
つまり、
なんというか、
音が根源だとすれば、
もしかして、
神はそれを大層気に入り、
それを人に与えてくれたのではないかと思えてきたわけです。

自分がたまたま音楽をやっているような人生になったので妙にこじつけが入ってきやすいというのもあるんですが(笑)、
音=光であるというのは闇という字が存在することで明らかなので、
そうなると、
やはり神は音が好きなんじゃないかと思えてきたわけです。

つまり、
楽器というのは、
神からの贈り物、あるいは神の幻影ではないかと思えてきたわけです。

そういえば、このピアノ、
ピアノの宅レコ
小さい頃からなんだかんだいいながらずっと自分に付きまとってきてる気がするんです(笑)、
ひたすら、じーーっと、
その黒い物体が自分を睨んでいる気がしてきて(笑)、
なんというか、
存在感がすごいんですわ、この物体(笑)。
実際、なんつーか、
私、
音楽から逃げられないんですよ(笑)。
一度就職とか考えたりしたんですけどね(笑)、
なんか、
呪われてる気がするんですよ(笑)、音楽に(笑)。

しかし、それは・・・

なんというか、、、

神の仕業なんじゃないかと思えてくる部分もあるわけでして・・・・(笑)

そう、神は音・音楽を愛している、
意地でも音楽をやってもらいたいんじゃないかとすら思えてくるような局面が人生の中で何度もあったわけです、実に不思議で、少しこれは言葉では説明しにくい何かがあるんです(笑)。


で、音がすべての根源であるとか、
神が音を愛している事を証明できるかもしれない暗示を発見しました!!!(笑)

音が根源

太陽とか光と闇とか考えてると、
やはり、
私たちの日常、すなわち一週間の繰り返しが浮かびます。

で、少しこじつけ的に、
この順番に無理に意味をつけてみようと考えました。

すると、

日=光=音

とすると、
そこから全てがはじまり、
(あるいは「無」が先にあってそこで音が発生したかも??)

次に来る月曜日

これ、

人間(の肉体)の暗示じゃないですか??

人間の身体の器官は肉月がついてます。

つまり、
神は、
音が存在する、
あるいは音が光となるような世界を生み出したいがために、
それを奏でるヒトを創造した、あるいは楽器をプレゼントしてくれたのではないか
という仮説を立てることが不可能ではない気がします(笑)。


で、
人が音を奏でようと思えば、
人が存在する場所や概念・秩序が必要となります、
つまり、
音が存在する世界を作りたかったがために、
後で、
人と人が住む星と、
人が楽器を演奏するための文明や歴史を、
わざわざ
全て架空で創り上げたのではないかという(笑)。

つまり世界というのは結果であって、
原因は、神の音への愛着から全てが始まり地球や世界が架空で創造されたのではないか
と考える事ができるわけです(笑)。

音が「響く」、
音の上に郷、つまり故郷です、
つまり、
私たち、あるいは、
神、
あるいは全ての故郷は音なのではないか!?
つまり、
音が響いた、それを神が愛したことから全てがやはり始まったのでないか??
(あるいは、音そのものが神なのではないだろうか?)


また、そうであるとするならば、
神の音に対する愛というのは生半可なものではないということも伝わってきます(笑)。
自分がこれまで、
音という呪いから逃げようとしても逃げれないぐらいに色んな不思議な体験をしてきたことからも、
なにか、
そういう自分が立てた仮説がマジなんじゃないかと思えてきたわけです(笑)。

天に行けば無が待っている
地球が架空であるという事を暗示する惑星の並びについて先日の記事で書いた通りです。

ただし、
神は、人が愚かであるがゆえに人に様々な試練を与えていると考えていたわけですが、
しかし、
私は今、生きているわけです、
つまり、
私は愚かであるにも関わらず生を与えられているということは、
何か別の何かを与えられているのではないかと考えられるわけです。

少し考えてみると、
音が光となるように、
音が存在し、
人々が音を愛する世界を作るにはどうすればよいか、

おそらく、

人が愚かで世間は荒れている、

そのような世界であったほうが、
人は音楽の力を必要とし、
音楽が輝くのではないかと思えてきます。

つまり、人が愚かなのは、
人が悪いわけではなく、
神が、
音が光となるような世界を創造するために、
止むを得ず、
人という楽器を演奏する人間が愚かであるという設定にしたのではないか、
そして、
音を奏でる事と、
愚かさに気付くという事をうまくリンクさせて人生というストーリーの中で、
人が、そして神自身が、
音という美しいものを感じる・奏でる喜びを味わえる、
そんな世界を作ったのではないか・・・・・


だから私が愚かでも、
それに気付けば神は私に音を奏でる・生きる事を許してくれていると考えるようになったわけです。

音を奏でるのは男?
んで、
私は男なんですが、
音という字の、
日の上に立っているのは何者かと考えた時、
氏名をもつ人間と考えると、
ふと「昏」という字が浮かび、
それに関連して、
「黄昏」
なんていう言葉が浮かんできたわけです。

黄昏なんていうのは、どちらかといえば男的で、
物悲しい、
何かが足りないような孤独感を連想させるわけですが、
私はちなみに現在独身だったりすることもあり、
ここからさらにそれが面白い事を発見する事に繋がりました。

あと、私は日本人で、あと、住んでいる国が「神の国日本」だったりすることで、
黄昏の黄色は、日本人あるいはアジア人を指すのではないかと思ったりもするわけです。
ここらへんも、
世界が架空であり(あくまで仮説)、
妙に神が日本や音楽に御贔屓である気がする世界を自分が見させられてきた事で薄々そんな気がしてくるわけです。

そういえば、
「日本」
も、そもそも、「日の本」!
つまり、この国は音の国、神の国ではないのだろうか!?
関係ないかもしれませんが、
私の本名は「寺本」だったりしますが、
そういえば、
寺と日をくっつければ、
「時」ということになります。
時間とは何かという事も後で書こうと思います。


とにかく、
神は音楽御贔屓です、日本御贔屓です。
私も音楽も日本も好きです。
もちろん、そのほかのあらゆる物事に対して尊敬もしていますし、
音楽をやっていられるのは、
あらゆる要素があるからこそという事を常に意識し感謝しています。

にしても本当に神は音楽を愛していて、
人にそれを伝えたいに違いないのではないかと思えてなりません。
宮沢賢治は詩人でありながら音楽をやります。
そして世にそれが残っています。
それにはそれなりの理由がある気がします。
シュバイツァーなんかも医者でありながら音楽をやりますね。
そういえば、
弁財天というのは唯一女でオッパイ丸出しの像もあってそれが楽器を持っていたりします(笑)。
神は絶対に音楽が好きに違いありません(笑)。


しかし2011年の今、
音楽や日本は衰退しています。

それは何故だろう??

人を振り向かせたい時、
どうしますか??


どんな時、何かが気になりますか??


そうです、

ソレをわざと遠ざければ気になって仕方がないようになるという心理が人間にはあると思いませんか?
恋の駆け引きなんかでそんな事をした事はありませんか??(笑)
私、それでかなり苦労してきたりしてます(爆笑)

神は日本と音楽に人が振り向いてくれる事を望んでいるという気がするのです!!(笑)

おかしいと思いませんか?
変じゃないですか??
最近、日本、変じゃないですか?(笑)
自分が好きになったものがどんどん離れていくんです。
人生でずっとそうなんです(笑)。

おかしいです(笑)。
妙です(笑)。

しかし、
苦労はしているけど大難はないんです。
不思議です。
神のいたずらとしか思えません(笑)。


音を奏でるのは男?
んで、もう一度さっきの画像なんですが、
「黄昏」の「昏」
という字、
左に女をつけると、
「結婚」の「婚」
になるなぁなんて考えたりしていて、
そこでまた恐ろしい暗示が・・・・(笑)

私は男で独身で、
音楽をやっています。

黄昏です(笑)。
女がずっといなかったわけではないですが、
今はいないので黄昏モードです(笑)。

まぁさほどカッコよくもないですし(笑)、
まぁそんなにモテモテだった覚えもありませんが、
まぁ確かにそれなりに色々と、ええ色々とまぁアレだったので悪くもないといえばアレなんですけども(謎笑)、
にしてもまぁ、
音楽とか結構自信あったりもするんですが(笑)、
それでいてこのありさま(いい年こいて独身)というのも、
妙といえば妙だなぁなんて思ったり思わなかったりしつつ(笑)。


もし女がいれば結婚するでしょう。
そういえば、
楽器を「奏でる」なんていう漢字は、
「春」という字に似ています。
春という字には「日」つまり音楽がそこにある気がします。

んで、そんな事を考えつつ、

しかし音楽をやっている女性もいるわけです。
おかしいなぁと(笑)。


女という人間はいない?
そこで、
日の上に立っている女はいないか探してみました(笑)。
つまり、
日の上に氏というのは男です、
なぜなら、
横に女という字がつく漢字があるからです。

しかし、その逆がないのですよ!!!
(ここ超興奮するとこ!!!)


ないじゃないですか。
女が音を奏でて男が隣にいるというような漢字が。



女という人間はいない?

そしてなんと!!!!
逆に、

日の上に立っている氏(男)の下に、、、、、
女がいるという漢字があるんですよ!!!

「妾(めかけ)」!!!

女は人間じゃないんじゃないですか!!?(笑)

うわーこれオカルトキタヨーー(笑)。

いやちょっとまて、
自分の周囲全部がエキストラなんて考えた事とかありませんか?(笑)
ありえなくもないのでは???(笑)

もうTAKAYAは気が狂っている、ついていけないと思った人は、
このへんでブラウザを閉じてください(笑)。



そういえば、
私、
音楽もやってきましたけど、
もうひとつ、
追いかけてきました。

そう、
女ですよ(笑)。
人生にこれは欠かせないのではないでしょうか(笑)。

いや、道徳は守ってますよ、ええ、真面目に生きてきましたので遊び人ではないです、
誤解のないようにお願いいたします(笑)。

というか、
これもね、
音楽と同じなんですよ、
呪いなんですよ、

チラチラチラチラチラと、、、

そこへ誘導させられているような何かを感じるんです。

それはまるで、
音楽と同じようなサイクルで私を喜ばせたり苦しませたりしてきたかのように思えます。

つまり、楽器と女は、

神です!!!!(笑)←仮説ですよ


時間の意味

そんな中で、
楽器と女にある共通点を見出しました。

まぁこれは色んな意味が重なったりするわけですが、
例えば、
楽器というのは、
自分も楽しく興奮し快感を得、
相手も楽しく興奮し快感を得、
というのが理想です。
そしてそのコツは、
自分を殺す事にある事に気付いてくるのです。

力んでいてはいい演奏ができません。

あえてこれ以上は書きませんが、
とにかく、
楽器と女は完全にリンクしていて、
しかも、
やはり両方とも、神なのです。

それは何故か??



遠いからです。

ところが、
遠すぎないのです。
だから苦しいし、
だから生きているし、
まるでそれが人生であるかのようでした。

しかしなんだかんだで、
それは近づいて来たり遠ざかって行ったりして、
なかなかコレという一つを得れないわけです。

チラチラしつつ遠いわけです。

そして音楽(ピアノ)とそれがかなりリンクしているところが妙なんです。


結婚とは何でしょう??



何かが妙なんですよ。




そして、私は、
何かが妙なので、
人生、
西へ東へと動き回っていた気がするのです。


北:North
西:West
東:East
南:South

うーーーん・・・

と考えていた中で、
すごい事に気づいてしまいました・・・


ここからは、
単に自分のためのメモみたいな感じなので興味ない人はブラウザ閉じましょう(笑)。
オカルトで頭がおかしくなること請け合いです(笑)


自分の人生に「つきまとってきているかのような」ピアノ、
気になるんですよ、
妙なんですよ。


そこで、
思い出してまとめてみました。
ヤバいです・・・
これはヤバいです。
神は存在します。
ヤバいです。

怖すぎて、
今夜は久々に酒を引っ掛けてました(笑)。




ピアノの向きと位置、
自分が動いた(引っ越したりした)経路、
そしてその方角が持つ意味をまとめたら、
背筋が凍りそうになりました。





ピアノの向きと位置

奈良
少年時代A 東向き(西)
少年時代B 東向き(西)
 ↓
大阪 (無し/ピアノは実家に置いたまま)
 ↓
奈良
青年(ゴタゴタ直前) 西向き(東)
 ↓
明石 東向き(西)
 ↓
東京
2011年現在 北向き(南)


ほーう、南にピアノが配置されたのは東京が初めてですねぇ。
今まで南には無かったわけですね、なるほど。



以下、
方角とその意味をwikipediaから軽く引用

(大阪)
■子
「子」は「孳」(し:「ふえる」の意味)で、新しい生命が種子の中に萌(きざ)し始める状態
■坎(かん)
「外陽にして中は陰」。外側に陰柔の卦があるが、内部は陽剛である。「中に何かがある」と捉え水・陥・豕・耳・秘密・姦計・色情・専門性・交渉・冷静・重病・中男などを象徴
■冬■真夜中■玄武■黒




西(明石)
■酉
「({糸酉})」(しゅう:「ちぢむ」の意味)で、果実が成熟の極限に達した状態を表しているとされる。
■兌(だ)
説(よろこぶ)という意味とされる。
■秋■日暮れ■白虎■白




(東京)
■卯
『史記』律書によると「茂」(ぼう:しげるの意味)または『漢書』律暦志によると「冒」(ぼう:おおうの意味)で、草木が地面を蔽うようになった状態を表しているとされる。
■震
原義は最も下(創め)に一陽が生じて、限りなく前進する様子。ここから始動の時・雷・龍・足・長男・若い男性などを象徴する。方位としては東(地支では卯)を示す。現代社会では電信電話・高速通信など。時に嘘つきにもなる。肉体では聴覚・肝臓・代謝など。
■春■夜明け■青龍■青



(??)
■午(うま、ご)
「午」は「忤」(ご:「つきあたる」「さからう」の意味)で、草木の成長が極限を過ぎ、衰えの兆しを見せ始めた状態を表しているとされる。
■離
原義は「一見明るいが中は暗い」。また「二つのものが一つをはさんで向かい合う」である。即ち火・麗・雉・目・心臓・乳房・華やかさ・中女・別離対立・紛争・外見・赤(紫)色などを象徴する。
■夏■真昼■朱雀■赤


南は、無いんですよ、多分。
それがこの世の妙なところなんじゃないでしょうか。
また、それには、いくらか、
ちょっと意味深な何かが隠されているように思えます。

予想では、やはり、この世に「自我を持つ・人生を歩む女のヒトはいない/自分がそれになることはない」んじゃないかという説が浮上しますね。
実際、とりあえず自分は男です。



私は奈良で生まれました。
そして、
色々な事情、何かが妙、
何か色んなものを追いかけて西へ東へ動き回り、
今、東にきました。

大阪時代は長かった。
そう、まるで冬のように。
色々ありました。
いいことも悪い事も色々ありました。

今年3月11日、関東で地震があり、
自分の中で何かが大きく動いた。
人の役にもっと立ちたいとか、
自分の無力さを痛感し、
生のピアノで音を出して音楽と向き合うための環境を求めて、
西(明石)にそれを見つける事に恵まれました。
しかし、
まるでそれは、
とても心地が良いのにあっという間に終わってしまう秋のように、
あっという間にその生活に終止符が打たれました。
しかし、決してそれがマイナスにはなっていないという感覚があったわけです。

それをクッションに、
今、
なんだかんだで東京に来ました、
来てから三カ月ほど経過してます。









私は、
何かに気付きました。


とりあえず、
この記事はこれで終わりにします。


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1万円からのFX取引は、伊藤忠グループ・FXプライム

2011年11月30日 水曜日/07:04:46/ No.348
世にも奇妙な本当の歴史/「神は我々人間が地球に来る事を待っている」

記事分類:つぶやき
東京の音楽マンションに引っ越してきてから3か月弱ほど経過して、
生活も落ち着いてきてピアノ練習も充実している中、
充実してテンションが高まりすぎていて若干不眠症気味だからかなんなのか、
だいぶ前にちょっと変な夢を見て、
それが近頃、頭から離れないんです。

どんな夢を見たのかというと、

あ、これはあくまでも夢なので、
まぁこれから書く事は完全オカルト入ってるんですが(笑)、
まぁ興味があったら見てくだされば嬉しい限りです(笑)。

すごい事を発見したんです!!!(笑)


なんと、

夢の中で、
自分の思考を完全に先に読まれて盗まれていて、
自分の考えている事、さらには自分の人生全てを知っているかのような声が聴こえてくるという、
完全にノイローゼ入ってそうな物語が展開して、
それが近頃頭から離れないのです(笑)。

まぁ私は別に普通に大丈夫なので心配は御無用で、
単にネタとして書いてるだけなのでアレなんですが、
それにしても、
その夢をヒントとして、
すごい発見と妄想世界が広がって、
一人で興奮しているわけです!!(笑)

この興奮と感動を!!!!!
聞いてください!!(笑)


ねぇお願い!!
聞いてよトモコちゃん!!(笑)
聞いてよアユちゃん!!(笑)

(意味不明)




歴史が一本

まずですね・・・

歴史って、
こういうイメージですよね?
まぁ多分、こういうイメージです、はい。
一本道っていうか。
で、今、2011年、
はい、何の変哲もない2011年の東京に私はいますし、
確かに何も問題ありません(笑)。


ところが・・・・

その例の夢なんですが、
ちょっとそれを基に妄想を広げてみたんですよ。


もし、
夢の内容のように現実に人の思考を盗む技術があればどうなるかを・・・・(笑)


というか、
あの夢があまりにリアルで不気味だったので、
真剣にそれを疑ったわけですよ(笑)。

でもまぁ実際に目が覚めてみればそんな声は聞こえませんし(笑)、
まぁ単にネタとして妄想してみたら、
いや、案外すごい世界が見えてきたわけです。



人類飽和後に歴史ゲーム

例えばですよ?

万が一、いや、百万が一、

人間の思考を盗み取り、
人間の人生を完全に監視し、管理する闇組織がいたとすればどうなるだろうか??
また、その組織の目的は何だろうか??

そういう事を考えてみると、
一つ、
今が2011年であるという事が疑問に思えてくるわけです。

なぜなら、
2011年の時点では、
テクノロジーは、
テレビなどの情報を基とした知識としてはそこまでは進化していないので、
現時点でそのような荒業をやってのけることは不可能なはず。


ところが・・・!!

それを可能にする方法があると考え付きました!!(笑)

それは、

未来に過去を作るという事です(笑)。

もう完全に頭イッてる・バカバカしい、と思った人は別にここで読むのをやめていただいても結構ですし(笑)、
興味があればお付き合いしていただければそれはそれは嬉しゅうございます(笑)。

別に世の中を混乱に陥れたいとかではなく単にネタなので(笑)、
このブログを警察さんや政治家さんが見ていたとしてもアンパンでもかじりながら鼻で笑ってください(笑)。



で、未来に過去を作るとはどういうことかというと、
つまり、
今は2011年であるが2011年ではないという説です(笑)。


つまり、
人類は、今自分が見ている2011年のテクノロジーを遥かに上回る、
超ミラクルハイテクノロジーによって、
SF映画のようなものすごい世界を造り上げたのち、
あまりにハイテクすぎて人類が堕落した、
あるいは、
やることが無くなるほどに進化しすぎて、
過去が恋しくなり、
歴史をもう一度架空的に最初からやり直そう・歴史ゲームで遊ぼうと考えたらどうなるか?

だって、例えば音楽業界でも、
デジタル、CD、MP3などが普及した後で、
カセットテープやレコードの方が音に味があるなどといって、
レトロな趣味に走る人がいたりするじゃないですか(笑)。
そういうイメージで、
進化しているのだけれども、
あえて、
古いものを再現するという心理は常にあるはずですよね。


そういう時に考える事は、
戻りはするが、
何かパワーアップした状態で戻りたいと、
誰もが願うはずですよね。

ロールプレイングゲームの、
「強くてニューゲーム」
みたいなイメージです。


その時に何を考えるか??

私の個人的なアレですが、
まず、
私がこれまで生きてきた経験上、
人間の愚かさゆえ、
正直者がバカを見る的な世の中に少し疑問を抱き、
神を憎んでいたような一面があったように思います、
つまり、
(プラス面で)報われるべき人間が報われる社会であったら、
神がいたら、と、
考えた事もあります。


そこで、

スーパーハイテクな文明を築いて人生に飽きるほど進化したのであれば、
人の思考を読み取る技術などが絶対に不可能とは言いきれないとも思えます。

とすると!!!!(笑)

つまり、人の人生・思考を監視し、
悪には罰が当たり、
正義が救われる、
という、
2011年とは真反対の(笑)、
理想郷を作れるのではないかという夢が広がるわけです(笑)。


で、仮に、人の脳内や体内に何らかのチップのようなものを搭載させた状態で半分本物・半分ロボット的な人を配置し、
それを闇組織が監視して
過去の歴史を再現しつつ、
そして理想の世界を構築するとすれば、
今の2011年は、
超ミラクルハイテクがあるにもかかわらずそれが隠された状態で、
わざと発展途上である何周目かの2011年を闇組織の手の平の上で生かされているのではないかという、
まぁなんともバカバカしい仮説を立てることができなくもありません(笑)。


しかし、その組織の目的は、
黒い目的ではなく白い目的であると考えられる。
つまり、
一見すると単なるとんでもない犯罪集団に過ぎないように思えるその組織の目的は、
「悪のない世界、つまり神の存在する架空世界の構築」
であったとするならば、
その組織は決して悪ではなく、
グレーゾーンスレスレではあるが、
なんとなく志が高いとも思える(笑)。


人は、
信じる事ができない世界で生き続けてきたはずである。
そして、
信じることと神を延々とバカにし、恨んできたに違いない。

それは人類の最大の悲しみ・不幸である。

私自身、
何かを信じたいけれど信じれないという事に苦悩してきた。


その闇組織は、
おそらく、
誰よりも冷たく凍っていて、
そして同時に、
誰よりも熱い人間だったに違いない。

つまり、
信じる事を徹底的に否定しつつも、
誰よりも、
何かを信じたいと願っているに違いないのだ。

だからこそ、
神のいる世界を構築したかったのではないか、
そのためにテクノロジーを利用し、
また、それが実現できたという事は、
もしかすれば神がそれを許してくれたからではないかという仮説が浮かび上がる(笑)。

つまり、
神を誰よりもバカにしていた人間たちは、
世を支配する構造を構築した末に、
本当の神の姿を見た!(笑)
という奇妙なオチが待っていた、
などと考えると、
もう興奮して寝られなくなって、
どうせせっかくなら、
とことん妄想しつくしてやろうということで、
最近また不眠症です(笑)。


しかし一つ疑問が。

人間の思考を盗む技術が未来に開発されたとしても、
それが悪の手に盗まれると困るという事である。

そうなると、
悪が存在しない架空世界を構築できない。

しかし、
もう少し真剣に考えてみると(笑)、
やはり、
人間の思考を盗む技術を駆使して神がいるかのような架空世界を構築して歴史をやり直した組織は、
絶対に
「白い組織」
であるに違いないという事が浮かび上がる。


そもそも、悪が、何かを支配するという事は不可能であると思えるからである、
または、
悪が何かを支配すると、
全てが滅んでしまい悪も滅んでしまうと考えられるからである(仲間同士でも最終的には潰しあいになるのではないかと考えられる)。

つまり、理想郷を構築し、支配できるのは、
歪んだ欲と執着のない正義のみであるというのが真理であると思うのだ。


んで!!


未来に過去を作り、輪廻転生

さて、思考を監視・操作できる「神のいる架空世界」を未来の過去に作れたとして、
そうなると、
おそらく、
それらはデジタルデータなどとして記憶・再生できるはずで、
そうなると、
時間軸をズラしてそれを再生すれば、
架空的に輪廻転生が可能ではないかと思ったりするわけである。

また、ハイテクノロジーが進化したのであれば、
今開発途中の宇宙という空間が自在に操れるようになっている可能性もあることを考えれば、
実は歴史は複数存在し、
別の空間にいくつも地球や歴史や年代が存在する中で、
人間の人生や魂のデータを別々の場所で如意に再生できれば、
色々な可能性や仮設が見えてくる。


例えば、
2011年の記憶や知識をもとに人がやってのけたことを、
1980年で再生
すれば、
例えばそれによって、
超人的と思えるようなスポーツマンやアーティストを架空的に生み出せるのではないか(笑)、
など、実に夢は膨らんでくる(笑)。

それによって、未来からの使者ともいえる天才の存在によって社会は盛り上がって経済も潤うのだから結構いいアイディアではないだろうか(笑)



しかし・・・・・


それをすると、
一部のズルい未来からの使者以外の人間が活躍できないという事になる。

ところが!!

記憶や魂・人生を再生する場所を自由に選択できるのであれば、
全員の「居場所・活躍場所」を用意する事ができる。

つまり、

ある人物がいたとして、
その人物の才能や作品とダブらない人をかきあつめて、
架空の歴史を回せば、
全員が活躍できる世界ができあがる。

現在は歴史が一本道であるがゆえ、
誰かが笑えば誰かが泣く、
というゼロサムな世界にしかならず、
そこらへんが神の残酷さである(笑)。

ところが、
歴史のラインを複数本用意できたり、
今の自分の人生の記憶や作品などを、
未来に配置した過去の歴史の中で登場させれば、
誰でもスターになれるし生きた証を残せる、
それはすなわち、
全ての人が幸せになれて、
人生を生きるモチベーションを上げれると言う、
究極の世界ではないだろうか(笑)。

そう、
今、自分が生きている間が、
売れたいとか儲けたいとか考えると、
他に天才がいると埋もれてしまうというのが普通であるが、
別の場所に別の歴史があれば、
全員が人の役に立てるという世界が広がる!!

これはスゴイのではないでしょうか!!!(笑)



さて、しかし、
そういう架空世界を本当に作れるのでしょうか??
まず、空間の限界はないのだろうとか、
あるいは、
人類はこれからどんどん文明がさらに発展してハイテク化する中で、
本当にそのような世界を構築するだけの団結力があるのだろうか??


それに、理想郷を構築するには正義が勝たないといけないがゆえ、
構築できたということは、
理想郷を構築する必要がないという事になる(笑)。
意味が解っていただけるでしょうか?(笑)

つまり、
架空世界を造るには正義が勝っている世の中である必要があるが、
正義が勝っている状態でわざわざ理想郷を造らなくても問題はない気もするのだ(笑)。

当然、悪が勝っている世の中では理想郷は築けないし、
人の思考を監視するテクノロジーがあっても人類は破滅に向かうに違いないのだ。

となると、誰が、
思考を監視して人の運命を操れる正義が勝つ世界を作ったのかという話になってくる。



おい・・・・

これは怖いぞ!!!(笑)


じゃないのか???(笑)

神が最初から偽の歴史を人間に見せつけて、
最初から架空の世界を作ったのではないか!?(笑)

あと、長年ずっと気になっていたことなのだが、
なんというか、
世の中はそもそもなぜ、
ちゃんと回っているように見えるのか??(笑)

ちゃんと回っているように見えない??(笑)
いやいや、そんなことはないでしょう、
自分が今ここで生きていられるのは、
世の中がちゃんと回っているからであって、
回っていなければすでに飢え死にしているのではないですか?(笑)

しかし、確かに健全であるとは思えません。
しかし回っているのです(笑)。
おかしいと思いませんか??(笑)

人が回しているはずなのですが、
なんだか違和感があるわけですよね(笑)。
なんか周囲やテレビを見渡すと、
なんか結構ロクでもない社会が広がっているわりに、
案外、不思議と世は回っていて、飢え死にもしていないわけです。
なんというか、
自分自身も、
ちょっとでも商売っぽいことをした経験があれば解るわけなのですが、
なんというか、
無理なんですよ(笑)、
コストに見合った利益を上げるなんて(笑)。
いや、それは経営のプロならできるのかも知れませんが、
しかし、テレビなどで見る限りでも、
なんか、
無理っぽい事をやっている気がするわけです(笑)。
でもとりあえず世界が回っている。
それは何故だろう??(笑)


そこで!!!

もうバカです、
ごめんなさい、
私はバカです、
妄想全開です!!(笑)


架空日本から本物の日本へ

実は!!

この世界、
マジで架空なんじゃないですか??(笑)

なんか時々思うんですよね、
自分の人生って、
なんかタイミングの絶妙な時に、
重要なイベントが起きたりする気がするわけです(笑)。
なんかおかしいなぁなんて思う局面が結構あったように思います。
まぁなんでもこじつけてオカルトチックにする事は可能なわけですが(笑)、
それでも不思議だなぁと思う事は結構日常の中である気がするわけですよ。

で、仮に、世の中は本当に自分以外全部架空だなんて妄想を膨らませつつ、
色んな事を考えてみました(笑)。


まず、

人生を歩み生かされる人は、
実は全員が昭和~2011年あたりなのではないかという変態説!!(笑)

思ったことありませんか??

何故自分は、
戦国時代に生まれたり、牛に生まれたりしなかったのだろうと。

なんというか、
ギリギリセーフ!!
みたいな(笑)。

周囲にいる人は、
せいぜいかなり長生きでも大正時代の人ぐらいがリアルに会える人で、
江戸時代以前の人に会った事がある人は誰ひとりいないわけで、
実はその時代を歩んだ人間は誰ひとりいないなんて事も考えられるわけです(笑)。

想像できますか?
袴を着て刀を腰にさして、
いつ殺されるかもわからない時代に生きる自分を。

できませんし、
厳しい時代を生き抜いたご先祖様方や何かの犠牲で理不尽な死をむかえた過去の命や魂に対して不謹慎ではあるかも知れませんが、本当に昭和生まれでよかったなと思う事があります。いや、だからこそ私は真剣に今を生きたいと思って生きてきたと思っています。

しかし、とにかく、
江戸時代や鎌倉時代が本当にあったかは、
誰にも解らないわけです。
特にハイテク化が最終形態まで進んだ後に歴史を何度も回すとすれば、
昭和~平成あたりが絶対にバランスが絶妙で、
幼少期から青年・中年になるまでの流れが非常に理想的であると自分は感じていて、
ありがたい平和な時代を生きさせてきてもらえた事からも、
「歴史で遊ぶなら昭和~平成がよさそうだ(笑)」と強く感じるわけです(笑)。


で、話は戻りますが、
世の中が回っている事が不思議だと思う理由として、
自分自身の愚かさへの気付きがあります。

自分の愚かさと向き合うと、
黒い感情が誰にでもあることが予想でき、
また、
自分の内に秘められた黒い感情を持った人間が集まって、
世の中を回せるかどうかを想像すると、
到底無理なんじゃないかと思えてくるわけです。

そこで、

神は、
最初から人類に人類の歴史などを与えず、
架空世界で一生を終えるというシステムを最初から構築し、
人に、人間社会の中で生きているかのような錯覚を起こさせるような架空世界に、
たった一人だけ自我を持った自分というものを産み落としたと考えたりしたのですが(笑)、
いやいや、いくらなんでもそれはブッ飛びすぎだろうという事で、
その仮説は却下したのですが(笑)、

しかし・・・・・

ちょっと皆さん!!!

驚かないでくださいね???


実は、

やっぱり、
神は本当に存在し、
地球なんて最初から無くて、
人は架空の世界で生かされているのではないかという変態仮説を暗示するような謎の規則を見つけたんです!!!



ちょっと見てください。

地球は存在しない

これは、
そう、曜日と惑星の並ぶ順番です。

で、
曜日は、

日月火水木金土

と並んでいますよね。

ある時、ふと気になってちょっと考えた事があったんですよ、
何故、惑星の順番通りにしないのかなと。

日→月

はなんとなくわかる気がしますが、
火曜日以降の順番がバラバラなのです。

ところが・・・・


ちょっと試しに、
惑星が並ぶ順番と曜日の関係がどうなってるかで遊んだ事があるんです。


すると、
上の図でも解るように、

曜日の順番を追って惑星を追ってみると、

火曜日から土曜日までの流れに一定の規則性がある事に気付いたわけです。

つまり、
火星→水星→木星→金星→土星
と順番に線を走らせると、
なんとなく、
次に地球が来る気がしませんか??

しかし、
土曜日の次は日曜日になっています。
順番的には、
土星の次は地球に来るはずなんです。

つまり、何故か地球が無いんですよ。
あるいは、
何かの向こうに地球があるのではないかと考えられるわけです。

その何かは何かというと、

そう、

私達の日常、すなわち、日曜から土曜日です。

しかし、その次に地球がきそうなのに、延々と、
日曜から土曜をグルグル回っているわけです。

つまり、
私たちは地球に辿り着く事ができないのです(笑)。

それはすなわち、
この世の中が実は全て架空であり、
日本はおろか世界、地球も存在しないという事を暗示しているような気がするわけです。

つまり人間は愚か過ぎて真実では社会を築けないので、
せめて架空の世界を用意してそこで一人で人生ごっこをさせてもらえている
とは考えられないでしょうか?(笑)


しかしこの話にはさらなるオチがありまして、
地球は存在しない
もう一度見てください。

もしですよ。

今の人生が、
神様主催の「本物の地球を創造しようプロジェクト」のために神が用意した架空世界での人間育成プログラムだとして、
その果てに神のオーディションで合格し(笑)、
本当の地球に招待され、辿りつけたらどうなるか。



順番的には、
次は天王星になります。

つまり!!!


私たちは地球には辿り着けなくて、
もし辿り着けたら、
その向こうに、天がある

つまり、
それは神であるとは考えられやしないか!!!!???(笑)

逆にいえば、それは不可能で、
しょせん、人間は愚かだから延々と地球の手前で生きているとも考えられます(笑)。

しかしです、

地球の向こうに天があるんです、

つまり、

神は待ってくれているのではないか!?

そこに人間が辿り着く事を待っている。

ずーーーっと・・・

待っているのではないか。

だからこそ、
命というものを与えられている
のではないだろうか。


そこで、もう一度見ていただきたいのですが、

架空日本から本物の日本へ

つまり、
この私の夢から派生した変態妄想仮説は、
世は完全に全てが架空で、
地球は存在せず、
歴史のラインが何本もあり、
輪廻転生によって全ての人間が幸せになれるシステムを最初から神が構築・用意していた、
ハイテク文明も人類の業ではなく神の業で、
しかし、
架空世界の中で唯一自我を持った人生を与えられた人はそこで様々な事を経験し成長し、
何かを残し、必ず後世のどこかに自分がエキストラとして登場することで人の役に立ち、
また、
架空世界は、
神が主催する一種の人材オーディションであり、
それは一生続き、
もし、
素晴らしい生き方ができれば、
向こう側に本当の地球があり、
そこには本当の世界・人間社会が広がっている、
あるいは広がっていないのであれば、
それが実現できることを神が夢見ている・待っている、
これからそれを自分たちで作っていけるように、
神の地球創造プロジェクトのオーディションに受かるべく、
真面目に生き、
そこに連れて行ってもらえるようにする、
そういう命の燃やし方をする、
志を持ち、器の大きい本当の人間を目指すために、
この命と時間は与えられた!


神は期待している・待っている。


と考えられると思うのですが、
いかがでしょう?(笑)




と、
ここまでは夢とロマンに溢れている妄想だったのですが、
次の瞬間、
ちょっと余計な事に気付いてしまいました(笑)

天に行けば無が待っている

さっきの、
日曜から土曜日までの私たちの日常(そしてそれは架空世界と仮定)
の向こうの本当の地球に将来辿り着く事ができた先に・・・・・


冥王星と海王星がありますよね???

これはなんだろうと考えたんです。

そして、その二つの惑星は太陽からの軸がズレていて順番が入れ換わりますよね??


おそらく、

冥王星=「無」

海王星=「生物のいない地球」


と考えられると思い、
それが何を意味するかを考えてみると・・・


つまり、
天王星(天)が神だとすると、
地球で本当の人類の社会や世界を創造することを神は夢見てそこで待っていて、
あるいは人はそこで神になれると仮定すると、

その果てに待っているのは、
無か絶滅か、という事になります。


おかしいなぁ・・・・

それじゃ虚しくないですか??(笑)

まず、なぜ、絶滅や無に向かうかを考えてみると・・・


人材育成プログラムである架空世界での架空人生での経験をもとに人間が至高の精神力・究極の優しさ・愛と厳しさを手に入れ、
本当の地球に人間たちが集結して社会を築き、本当の地球の上で生きれば、

やはり・・・

最終的には、
全てを人間が滅ぼして無が残る、その道が冥王星を暗示していると考えられる。


では海王星になるパターンはどうかといえば・・・

至高の精神性があるがゆえに、
自己犠牲の精神が強すぎて動物を殺す事もできずに、
原始時代の時点でどの動物よりも先に滅びてしまうという皮肉な結果になる、
という事を意味しているのではないでしょうか。

また、動物同士でも命のための争いが生じるので、
最後には海だけが残るのではないでしょうか。



つまり、
人間の究極の精神性とは何か、
いや、そんなものは存在しないという事を暗示している気がします。
なぜなら、
社会を築き、共に共存するためには、
愛と厳しさの両方が必要だが、
その厳しさが何を意味するかと言えば、
いってみれば、「共存・生存のための競争心・あるいは本能」のようなもので、
それがないと生きていけないという現実があり、
実際に自分が生きてきた世の中がまさにそのような現実を映している。

しかし、だからといって、
優しさ・大きな愛だけでは、
自分が逆に先に飢え死にしてしまう。

つまり、
愛だけでは、人類は滅びるであろうし、
愛と厳しさの両方を持っていたとしても、
やはり最終的には何らかの抗争のもと、
すべてを滅ぼしてしまうに違いない。


つまり真実で世界を回す事は不可能であることが暗示されている気がするのだ。
そして、
それは、
現在の世界が架空であることを意味しているという事につながる。
しかし、
架空でなければ世界は回らないはずが、
でも現在、世界は案外普通に回っている、
しかもどちらかといえば悪の組織をイメージするような何かが世界を回しているように見えるが、
人間的な悪の組織では共倒れして不可能であると考えられる限り、
その世界を構築できるのは、
神しかいないと考えてもおかしくはない。

しかし神は人間が人と共存でき健全な社会を築ける事を夢見て地球という本当の舞台を用意して待っているが、
いざ超優秀な人間を集結させてそこに行っても、
人が優しすぎて動物を殺せずに絶滅するか、
人が結局は何かで抗争を起こすか進化しすぎた末に自らを滅ぼし星まで滅ぼしてしまい無だけを残すか、
そのどちらかしか道はないという事を暗示している気がするのだ。



なら神はなぜそんな虚しい世界を構築したのか、
やはり神は残酷じゃないか、
神なんていないじゃないか、
と(笑)、
元に戻ってしまうのであるが(笑)、
それは違うように思う、
やはり神はいると思うのだ。

なぜなら、

心配しなくても、
人類は愚かなので、
絶対に天には辿り着けないと最初から解っているので、
延々と人が日曜から土曜までの一週間が続く架空世界をグルグル回っていれば、
全てが滅びることはない、
つまり、
それは全ての人間、生物が幸せに暮らせる世界が永遠に続く事を意味するので、
やはり神は残酷ではないと考えられます(笑)。

しかし神はやはり待っているのだと思う。
待っているのだけれども、
そこには多分行けない。
しかし、
待っているという事が、
生きることへのモチベーションに繋がり、
私たちは生きる事ができるのではないでしょうか。

誰も待っていない何かをやろうと思いますか?
自分がブログを書く・演奏動画をアップする、
それは、
きっと誰かが待っていて、
誰かの役に立つ「かもしれない」と思っているから頑張れるわけで、
誰も待っていない事なら誰もやらないと思うわけです。

だから神は、
本当の地球で、そして天で待っているフリをしている、
結構、神はお茶目なのではないでしょうかね(笑)。

完全に人をバカにしてますよ奴は(笑)。

来れない事を解ってるくせに、
ベロを出して、
「こっちおいで~♪」
なんて暗示を人類に与えているわけですから(笑)。


まぁ要するに、
細かい事を考えるとキリがないのですが、
結局のところ、

まぁテキトーに楽しければいいんじゃないですかね(笑)。

なんつーか、
このブログのタイトルにもしているんですが、
黄金のウンコなわけですよ多分、人生なんて、世界なんて(笑)。
黄金なんです、だけどウンコなんです(笑)。
だからテキトーでいいと思うわけです(笑)。
本気で夢を持つというより、
テキトーに夢を持つといいますか(笑)。
つまり、
真剣に遊んでいた子供の心を持っていればそれでみんなが幸せになれると思うわけです。
例えば、
今、周囲で苦しそうな人や事件が起きたとしますよね?
しかし、
もしかしたら、
それは本当かどうか解らないわけですよ(笑)。
だからといって不謹慎な発言をしたり甘えてはいけないと思いますが、
なんとなく、
「世の中架空」
というイメージを妄想だけでももってみると、
逆に真っすぐに真剣に本質を見失わずに一生懸命に命を燃やせるのではないかなぁと最近考えるようになりました。






うわーーーたまらん!!
なんか天才的じゃないですかこれ(笑笑笑)

思考盗聴される夢からここまで妄想を膨らませられるというのも、
ある意味プロですな(笑)。

妄想イストとでもいいましょうか(笑)。


まぁこんな感じで、
たとえ仮説であったとしても、
結構熱い夢とロマンが広がる妄想に浸る事ができて、
わりと自己満足に浸ってます(笑)。



しかし、
何故そんな夢を見たのかがやはり気になりますなぁ・・・(笑)

そこで少し不気味な事を考えてしまうわけですが、

もしかして、
これはマジで人類が超ハイテク文明を築いた末の何回目かの歴史ゲームの中の何周目かの強くてニューゲーム的な2011年で、
実は本当に脳内にチップが埋め込まれていたり細胞まで操作できる組織や神が闇でいたとして(笑)、
逆の事を考えるんですよ、
自分がその組織にいたら、何を考えるか?

そうです、
なんとなく、
種明かしをしたいとは思いませんかね??(笑)

自分がスゴイ技術を持っていたとすれば、
なんとなく、
それをひけらかしたくなる心理ってありませんか??

私も、ピアノ演奏がある程度まとまってきたりすると、
やはり動画にアップしようかなぁとか、
見てもらいたいなぁとか振り向いて欲しいなぁとか思うわけです。

何かスゴイものがあって、
それがスゴければスゴいほど、
それを隠したくなると同時に、
隠したいけど、なんか寂しいからバラしたくなる、
みたいな心理(笑)。


つまり、
超ハイテク技術を隠しておかなければならない状態であっても、
技術者はそれを、どこかではひけらかしたいという心理があり、
人間の夢の中でそのヒントを暗示として登場させたのではないか!!?(笑)

という、本気でオカルト全開な怖いオチがここに一つ・・・(笑)

ハイテク技術が進化しまくって脳をどうたらこうたらできるんなら、
夜に見る夢とか操作できそうじゃないですか(笑)。



ヒャーー・・・・まさか(笑)。






さて、
まぁ細かい事は考えると疲れるので、
また明日からテキトーにピアノ練習頑張って後世で活躍できるようにせねば(笑)
↑もう現世での活躍は諦めてる??(笑)

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1万円からのFX取引は、伊藤忠グループ・FXプライム

2011年04月23日 土曜日/21:29:11/ No.244
足せば遠ざかる。引けば近づく。物ではない本当の豊かさと幸せ。

記事分類:つぶやき
引っ越しのため、
事務所を片付け中。


ふぅ~・・・・・

(笑)

多い・・・物が・・・・(苦笑)

私が、「物なんて要らない。もっと大事な事がある。」
という考え方になって物質的なものを余計に所有しない主義になったのは、ここ数年の話ですから、
今の事務所に越してきたばかりの頃は今の自分の精神性とは違って色んな余計なものを後先考えずにここにポンポン詰め込んでしまってるんですよねぇ初期の段階で。

まぁこれを機に、一気に一掃して次のステップに進みましょう。

とりあえず、自分で箱詰めできそうなものも多いので、事務所にあった古い箱や、シモジマで買ってきた小さめの箱に詰めたりしつつ。
いや、何も今日みたいな大雨の日に買い物とか行かなくてもという話ですが(笑)、
思い立ったらさっさとやらないと落ち着かないので。

んで、ちょいと収納ケースを買ってその紙袋を傘さして持って歩いてたら、
突然!
スポッと紙袋の底が抜けて商品が落ちるという漫画のようなハプニングが(笑)。
その、ズボッと底が抜けるあの瞬間の気の抜けた柔らかい感触といったらたまりませんね(笑)、感覚としては金魚すくいで失敗しましたみたいな。
何事かと(笑)。
もしもの時用の別の袋をカバンに入れてあったのでそれに入れ替えて助かったが・・・
雨の日に紙袋はやはりヤバい(笑)。


大きいもの以外は、さほどたいしたものがないので箱詰めするものも知れていますが、
その大きいものが無駄に多すぎる。
ここに引っ越してきた時は、
引っ越してきたというよりも、空っぽの部屋を借りて、
そこに後から店で買って配達してもらったものをポンポンと追加していく感じだったので、
さて、今になって撤去だってなったら、わりと地獄ですね(笑)。
ワンルームとかにこれから住もうと思っている人、モノは要りません、絶対に余計なものを追加しないようにしたほうがいいですよ。特に大きいものやラックなんて邪魔なだけなので絶対に要らない。普通の一軒家でしか生活したことがない人の感覚のままでワンルームでその生活スタイルや無駄に大きい棚(たとえ解体できるメタルラックであっても部屋が小さいと解体するスペースが狭い。絶対に邪魔(笑))やベッドを使うのは絶対にやめたほうがいいですよ。
「一旦あの部屋にコレを避けて・・・」
という作業や片付けができないところがワンルームの注意点。
常に「いつでもどこかに移動できる、撤去するもの・移動するものは少なく」が鉄則。

いまどき、ものを処分するのにもお金がかかりますしね。
こうして片付けていると、
やっぱり改めて、物なんて要らない、案外自分が本当に必要なものはそれほど無いという事が解ります。
去年は確か実家の自分のマイスタジオ的な部屋を徹底的に片付けて大変でしたが、
今回は事務所ですか(笑)。
これさえちゃんと終われば、確かに人生の一幕が終わってクリーンな気分で次のステップに進めると思いますし、やはり今、この事務所を引き払うのは正しいと思いましたね。
家賃の運転コストがかかる場所に自分の身を置くのはとても不安定で、いざ、移動となる時にそこでドタバタ忙しくて大変。

次の拠点は超幸運にも家賃無しで平屋をお借りする事ができたのは、本当に奇跡的にありがたいです。
少し今よりも地に足がついて落ち着くと思いますし、人様の温かさあっての住居で何かをさせてもらうというのは、「いい意味で後ろめたい追われるような・裏切れないような気持ち」になって頑張らないといけないという気持ちがさらに強くなります。もちろんそのプレッシャーがマイナスになってはいけないので、ほどほどに肩の力は抜かないといけませんが。
物も余計なものはこの際徹底的に排除して撤去します。
パソコンラックなどもかなり迷っています。
引っ越し先の平屋には既に机とかが少しあったので、
それを使わせてもらえばパソコンラックは狭くなるだけかも知れないし。
とにかく物を増やすのはこりごりですから(笑)。
私みたいな不安定な人間は、いつでもどこへでも移動できるように身軽であるべきです。

とはいっても、楽器をやっていると最低でもピアノやドラムがね・・・・・
しかも車に乗れないとかもうね・・・・(笑)
よりにもよって、ギターとかじゃなくて、
ピアノとかドラムとかデカイのばっかりで・・・・(笑)
あー・・・ごめんなさいほんと。
なんか知らんけど、ごめんなさい(笑)。


まぁこの機会に事務所にある余計なものを処分すれば、
かなり気持ち的にも何かスッキリするんじゃないですかね。
もちろん、「こんな余計なもの・・・」とは思っていませんけど。
この物たちは、確かに、ある時点での私にとってそれは必要だったし、
そのおかげで今の自分がある、だから、この物たちには感謝をしている、
感謝をしているからこそ、
もう、充分だからと、次に進むために、感謝しながら捨てる。
魂が入っていないものを放置することは逆によくないと思います。
放置と所有は違いますね。
魂が入っている、気持ちがそこにある物だけをそばにおいておけばいいのではないでしょうか。
だから、感謝しているから気持ちよく捨てたいのです。


さて、これらの処分する予定のものを、
いかにコストを抑えて処分するかで迷って調べていますが、

ふぅ~・・・・・・

(笑)



こりゃ処分と移動などで余裕で5万以上はかかりそうですなぁ。
ほんとね、物は本当に、必要最低限でいいですよ。
何かを所有するという事はリスクでもあるわけです、お金でも同じでしょう。
それを管理できる器がないなら、それを所有してはいけません。

そのように考えると、現代社会における「豊かさ」なんてものは、まったく魅力もないものに思えますね。
形のないものを資産にすべきです。

やはり心ですね。
心が豊かであれば物もいらない。

それだと経済が回らないような気がしますが、
そもそも、心が豊かなら経済が豊かになる必要はない。
足し算の豊かさではなくて引き算の豊かさをこれからは考えた方が絶対にいい。

不用品の処分をしてくれる業者さんも調べていると沢山ありますが、
まぁなんというか、人間というのは、本当に好き放題に地球を荒らしているなと改めて思いましたね。それらの物は本当に必要なのだろうか・・・・
好きなだけ贅沢してそれを要らなくなったら捨てて、
でもいざ捨てたくても自分で処理しきれないほどゴミがあって。
なんだか変だなとつくづく思います、自己嫌悪にも陥りそうですね。
自分はこれだけの、自分で処理もできないくせに物次々と勝手に詰め込んできてたんだなと、
そしてそれをお金を払って人に頼んで処理してもらう。
なんだか虚しくなってきますね(笑)。
何をやってるんだろうと・・・(笑)

最初から、別に特に何もなくてもいいんじゃないかなとか(笑)。
それに、これだけ物を詰め込んで勝手にやってきたのに、
ずっと、不満や不安ばかりに振り回されて、案外、幸せってのは遠いところにありましたよね、
足しているのに、いや、足してしまうからこそ遠ざかる幸せと安心感、
引くと少し近づく幸せと安心感、
その不思議。

何かが増える、何かを所有する、これらは、
本当に、人が思っているよりも、
そんなにたいして重要な、幸せな事ではない、いやむしろ、
本当に底から求めている何かから、逆に自ら遠ざけている行為なのです。

つまり、自然に逆らうとはそういうことなんだと思います。
人間社会はあまりにも不自然過ぎるのだと思いますね。

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1万円からのFX取引は、伊藤忠グループ・FXプライム

2011年04月23日 土曜日/00:05:03/ No.243
引っ越し準備/自分と他人の距離

記事分類:つぶやき
事務所を引き払うために片付ける前に、、、
実家(奈良)、事務所(大阪)、引っ越し先(明石)の三点で、

・実家へ戻すもの
・明石に持ち込むもの
・捨てるもの

を先に紙に書いてまとめてから片付けをはじめようと。

予想外にスムーズに撤去できない可能性や、事務所の掃除を頑張って敷金(保証金)多く取り戻そう作戦を成功させるため(笑)、を考えて、
まだ事務所の引き払いの申告はしていない(延滞すると面倒)。

だいたい捨てるものや、移動させるものを決めたので、
ぼちぼちまとめていかないとアレですね。


クルマルート・距離検索を使って、
おおよその各拠点の距離や時間を調べてみると、

大阪市東成区中道→奈良市
24.7 km

大阪市東成区中道→明石市魚住町西岡
67.2 km

奈良市→明石市魚住町西岡
89.4 km

さほど遠くないので料金などはバカ高くはならずに済むかと。
まぁ自分が車に乗れれば自力で何往復もして運べそうなレベルのものしかない気がするのですが、まぁ自分が車に乗れないなら仕方がない。

順序としては、

事務所でのネット接続の解約
 ↓
カード式のネット接続の加入
 ↓
捨てるものを処分
 ↓
実家に戻すものを運ぶ
 ↓
明石に運ぶものを運ぶ
 ↓
このあたりで事務所引き払いを申請すればよさそう
 ↓
事務所引き払い・電気ガス停止処理


こんなもんか。
敷金がある程度戻れば、向こうでお風呂の給湯器を設置する金に回せるわけだが(笑)。
まぁ期待してない(笑)。
まぁ別にしばらくは湯がなくても死にはせん(笑)。
ティファールで湯を作って身体を拭けばおk(笑)。
原始人と比べれば贅沢なもんだ(笑)。
引っ越し先の家の周りは少し土の敷地もあり、
そこに家主さんがアロエを植えていた(笑)。
おっ、それでジュース作って生きのびますか(笑)。
二十日大根とかプチトマトとか植えて育てたら食費浮く!(笑)
つーか百姓なりたい(笑)。
とにかく意地でも「オフィスに勤務してビジネス」なんてやりたかない(笑)。
ちなみに工場でも私が担当したラインの製品は後で爆発しますし、
私がクレーン車やフォークリフトをもし免許があったとして運転したら、
それでも多分轢かれて死者が多数出たり会社の損失になる事間違いなしです。
私は残念ですが社会の役にクソにもたたない芸術で何か人の役に立てる人間になるしかないのです。
 てんかんでクレーンで事故を起こした人のニュースが話題になっていますが、やはり、向かない仕事はしないほうがいいです。それが「人のため」です。
また、持病やハンデで隠さないと就職できない、あるいは就職できないと食っていけないという社会が問題ではないでしょうか。
要するに経済的な自立が全てという社会だからこそ失っているものがたくさんあるということです。別に中国の毛沢東のような主義にしろというわけではありませんが、
「カネがないと死ぬ」と本気で洗脳されてるような社会は明らかにおかしいです。
それに、実はそういう、
カンパニーでビジネスするという社会のシステムの歴史は実は浅いですよね。
明治維新以降でしょうか。
みんなが当たり前、普通、常識と思っている事は別になんらたいして重要な事では本当はないはずでしょう。
車にしても歴史は案外浅いです。
それを持つ事がオトコのステータスになったりした昭和中期以降の歴史も、
誰かの都合による洗脳ですからね。つまらん。

カネ稼がなくても(収入低くても)食べれるように・生きれるようになりたいし(笑)、
いつかそういう感覚を取り戻す必要がある時代がくるかも知れませんし、きたほうがいいと思います。
原子炉にしてもどうですか。
そうやって電力を使って営み、商いをし、多くのカネやモノを生んできたのでしょう。
しかし、「想定外の」事故によって、それらは一瞬にして崩れ、多くの金銭的損害だけでなく、ただでさえ狭い日本の「土地」をゴーストタウンと化し、「農作物が育つ優れた土地・土・空気・風・水」という「本当の意味での資産」を失いました。

つまり、人間は何かを生み出して付け足して豊かになっているような「気になっている」だけで、実は失っているものもある、経済市場のようにプラスマイナスゼロ、ゼロサムならまだマシだが、結局マイナスになっているではないか。
経済発展やモノ的な豊かさは否定はしない、私だってその恩恵は授かっている。
だが、「ほどほどに」すべきだと思うのだ。

と、話は脱線してきてますが、
あ、そういえば事務所では難しかったけど、玄米を発芽させて大豆と混ぜてジュース作るのとかも悠々とできますね平屋だと。うん、あれ、マジで栄養最強だから益々食費浮く!
まぁあまり美味しくないですが(笑)。

調べてみると現地には少し歩けばファミリーマートもあるから、
くろしきレコードのネット通販の受注も問題なく発送できる。
たまたま運よくファミマだから今まで通りクロネコメール便で発送できる。
郵便局は多分クソ遠いが、意地でも歩く(笑)。歩くのは慣れている(笑)。
多分資産100億円まで出世してもまだトコトコ徒歩や電車で移動してると思う(笑)。

今持っている郵便局の事業用一般振替口座は大阪東成区の郵便局で開設しているが、
まぁ別にそれは変えなくてもいいかなと思う。



経済発展の功罪について先ほども書きましたが、
あと、今回の地震が起きて特に思うのは、

自分と他人の距離

がこれからの日本の立て直しにおいて重要な気がします。

私はとても運よく、
平屋を家賃なしで「いわば他人」に貸していただけることになり、
それに対して父親は「そんな人はどうせ無責任」などとテンション下がるような事をいって不愉快な気分にさせてくれますが(笑)、
じゃあ何ですか?
契約書とかがあればよいわけですか?
今の事務所なんて契約書こそあるものの家主さんの顔も見たことないですよ(笑)。
それと、ちゃんと家主さんや家主さんのご家族の環境を知っている人にタダで平屋を借りるのと、
どっちが、アレなんでしょうか?
紙1枚ごときで信頼や責任があるのでしょうか。

紙の契約なんざ、いざって時に屁理屈こねて法律を盾にして自分のリスクを軽減させて逃げれるためでしょう。
確かにそれがあるに越したことはありませんが、だからといって不動産屋も挟まないで個人的なやりとりで物件を貸し借りするというのは「無責任」という考え方も確かに解ります。
しかし、そういう社会が逆におかしいとも思います。

昔だったら、それこそ芸術家なんてロクにカネも生み出せませんから、
フラフラと放浪して、誰かの家にズケズケ上がりこんで、
「・・・で、あなた、いつまでここにいるんですか?(笑)」
みたいな居候状態になったりしてた人も多いと思いますし、
そういう生き方が「ろくでもない」とは私は思わない。

むしろ、個人個人が経済という形で自立「しているフリ」をして中身は空っぽ、自力でどこにも属さない状態で人間関係を築くのは確かに難しいが、仕事でしか人間関係を築けないような「経済しか自立していなくて人間としては自立できてない老人」が量産されたことは社会の問題だと思うんですよ。
 退職後に誰も友達がいずに家で1日中ネットしているような団塊世代の親なんぞにそんことをいわれたかねーよと(笑)。

誰だか解らん他人が土地を貸してくれて、それで何が「無責任」なんでしょう?
ありがたいじゃないですか。
何かあったら何かあった時のことじゃないですか、
単に自分がリスクを避けて、
自分のプライドのために自分が何かに借りを作ったり優劣関係の中で劣位になるのが嫌なだけですよね。でも人間って本当は隔たりもないし、自分に持っていると持っていないものがあって、
持っている者が持たざる者にゆずったり助け合ったりするのが人間の本来の姿じゃないのですか、それをいちいち間にカネを挟んで個人個人の自立という社会ができあがったせいで人間関係は希薄になり、問題が起こったらカネや法律の屁理屈で解決して、
そんな社会、クソじゃないですか。

例えば今回の地震でも、
被災者が沢山いて、それの受け皿がどうとかいうアレなわけですが、
何も政府がその受け皿の全てをまかなって土地や物を援助するだけでなくて、
自分と他人、という関係をもっとフラットにすれば、
いくらでも、
他人同士が一緒に暮らしたり、家を持って余裕のある人は被災者を他人でも受け入れたり、
また、そのことについて「気を使う」とかいうのもおかしいんですよ、いつからこんなくだらない冷たい社会になったのでしょう?

ただでさえ狭い土地の日本で、個人個人が経済自立して、家族ごとに、あるいは個人ごとに住居を構えていたら土地が足りなくなって地価が高騰するのは当然ですよね。
土地を持ってる人も意地が悪いですよ。
月に何万円って簡単に吸い取ってくれますがね、
あなた、その借りた物件を事務所にシテ商売するなりして数万円を稼ぐのがどんだけ難しいか解ってるんですか、おかげで、みんな、苦しくなるんですよ。
全ての根源は土地を持ってる人間がろくでもない精神性しか持ち合わせてないからではないですか、
譲り合えば余る、
奪い合えば足りない、
それが今の日本は解ってない。

異常なまでの物質主義や物質への執着も問題だ。

地震にあって、奇跡的に命が助かっただけでもスゴイのに、
もう余裕がでてきたら、
放射性物質が飛びまくってる自分の家に車を取りに変えるとか思い出の写真がどうとか、
そんなのどうでもよくないですか。命や時間という資産に比べたら。

物に執着するのは、
本当に変わらずにいるべき何かを持っていないからではないでしょうか。


家も土地も金もモノも、

もし、それがゼロになった時、

それで絶望しかないというような社会がおかしい。

ゼロになってもいいじゃないか、
やりなおせる、
そういう社会のシステム、人間性が、
これからは求められるのではないでしょうか。

ゼロを怖がるとゼロは敵になります。
しかし、実はゼロは本来の「何よりも安心できる」フラットな状態ともいえるのではないでしょうか。

家も土地も金もゼロだと、自分はゼロなのでしょうか?

命がありますよね、
歩けるし、景色も見れるし喋れるし手も動かせる。

それだけのものを授かっていて何がゼロなのですか。

今の社会は、
金や家やモノがないと、「ゼロだ」
と錯覚してしまう、実にくだらない洗脳的な、直方体に閉じ込められたような閉鎖的な世界です。
これをなんとかしないと日本に未来なんてないでしょう。


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1万円からのFX取引は、伊藤忠グループ・FXプライム

2011年04月22日 金曜日/02:02:21/ No.242
土地の価値

記事分類:つぶやき

前回記事で書きましたが、事務所を引き払って引っ越す準備をしないとなぁと思っていたら、丁度、「便利屋」のチラシがポストに入っていた。が、価格が解らない(笑)、まぁとりあえず片付けを先に進めないと。

処分するものと移動させるものを考えてからじゃないと見積もれませんからねぇ・・・
余計なものを極力省いている事務所で、この物の量・・・・(苦笑)

風呂など水回りもある程度綺麗に掃除しておかないとという事で掃除したりしてます。
立つ鳥あとをにごさずですね。
敷金って返ってくるんでしたっけ?あんまり期待してませんけど(笑)。
まぁ綺麗に使っていたほうだとは思いますが・・・まぁ期待してません(笑)。
洗濯機が引越し先に既にあったりするので、この事務所の全自動洗濯機、次の入居者のために置いたままにしておきたいのですが無理でしょうかね~別に壊れてないわけだし。
次にここに越してくる人にとってはありがたいと思うんですが。家主さんもそれを売りにできるのでは?まぁ別に処分してもいいですけど勿体ないねぇ。

引っ越し先には既にタンスや掃除機や収納スペースやテーブルが結構あったので、
今よりもさらに余計な物は省いて超必要最低限の物しか持ち込まない予定。人様の平屋を家賃なしでお借りするわけですし、自分色に勝手にガンガン染めたりするのは悪いし、物はあまり要らない。

まぁ「超必要最低限のもの」の中のひとつが
「300kgのアップライトピアノ(YAMAHAのUX5)」だったりするから、
もうそれでお腹一杯ですけど・・・・・・・・(笑)
一応デジタルピアノも持ち込まないと、ミスタッチ嵐すぎる曲や全体の形が完成していないような曲を弾く場合に関しては音をオモテに出すわけにいきませんから、「表現の練習」の段階の曲しか生では弾きませんけどね。
まぁ周囲が少し空き地になって余裕があるからガンガン弾いてもいいのかも知れませんけど、なにせ、音出し恐怖症が治っていませんので(苦笑)

徒歩一分以内で明石海峡の海岸とか、住吉神社に行けるというような場所で、和風な曲をピアノで弾くなんて、なかなか芸術的な精神的な活動にはイイんじゃないですかねぇ。ドビュッシーの「沈める寺」とか久々に弾きたくなってきた。もう音の並び忘れたけど(笑)。
まぁ個人的に一人でコソコソピアノを鳴らすより、人に聴いてもらう・音を届けるためにせっかくのこの土地・平屋を利用したいもんですけど。
魚住の海岸近くでヘンテコな激しいピアノや和風な曲が鳴っている家があったらそれは多分私でしょう(笑)。良かったら立ち寄ってくださっても結構ですよ(笑)、あれ、そういえばあの平屋ってインターホンあったっけ・・・?(笑)
 貸してくださる家主さんの別荘状態な雰囲気があったので、インターホンとかなかったかも(笑)。

そういえばネット接続も謎ですが、そこらへんは、また、今の事務所に越してきた時に回線がなかった時のようにカード式のものを契約すればいいかなと。
今の大阪セントラルのZAQのサーバーに楽曲の試聴mp3とかアップしてるから解約したらそれが無くなるので先にバックアップをとっておいたので、解約してカード式を探そうと思います。実家に一時的に滞在する時でもどこでも使えるし(実家では父親がネットを一日中占拠している。大丈夫なのかあの引きこもりは・・・団塊世代の闇を目の当たりにしている団塊ジュニアなワタクシ。ん~全体的に腐っていく親を観てるのは辛い。引っ越し先に引っ張り出してきてピアノでも聴かせてやりますか。まぁ私の事心底嫌いそうだし今回の家借りる件も全力で反対して不機嫌マックスな不愉快な空気ばらまいてるらしいから無理だろうけど・・・まぁほっとけほっとけ/笑)。



ところで、私は、「土地」というものに対して、
次のような考え方をしている。

まず、宇宙という根源は神(のようなもの)である。
地球はそのその根源の中に存在する奇跡の惑星であり、
そこで生きる生物は全て地球に空間を借りている。
つまり土地は人間のものではないし、金でやり取りするものではないはずである。

人が人に土地を貸す時に金を請求するのが普通であるが、
地球は地球上の生物に対して土地を使う事に対して何も要求をしない。
酸素も水も土もそうだ。

つまり自然とはこれまた神(のようなもの)である。


私は昔、ピアノやドラムを思いっきり演奏できてレコーディングできるようなマイスタジオがいつかは欲しいと思っていた。
でも、今はまったくそうは思わないし、もしすごい資産があってそれができたとしても、
それを自分の為だけには絶対に使わないで土地を人に提供したりすると思う。

自分が稼いだお金で土地を買ったら、それは「自分のもの」なのだろうか?
私はそうは思わない。
お金というのは何か大きな勘違いをしやすい。
これは「自立」の概念にも当てはまると思うが、
カネ=実力・自立している・何してもいい
とは全く思わない。
あるいは、それ(モノやカネ)を所有する器がないならそれを所有すべきではないとも思う。

逆にカネを所有していればモノなり土地なり、何でも手に入れて何をしてもよくてそれは自分の実力で自分のモノで、というのは相当に勘違いであると考える。

土地は誰のものでもない。
まぁ中古の家とか、貸家なら、それはその家主さんの物ともいえるので、
「後から自分はそこにやってきた身である」
という意識をもって土地そのものや家主さんに対して心の中で挨拶をして、
自分なりに、そこでできる最大のそれが生きるような営みを人のためにさせてもらう、という意識をもつべきだと思っている。

自分の金で自分が土地を買ったのだから、そこで何をしようが勝手だ、というようなのは私は大嫌いなのだ。

土地の価値というのは、そもそも、広さとか、人が決めた価値(商業地は地価が高いとか)そういうのはクソくらえで、
本来は、土(そこに生息する微生物による農作物の育ちの違いなど)やその土地の空気や性格に価値があると思うのだ。

つまり、都会の高層ビルなんかには何の価値もないと私は思っている。
そのビルで商いをし、大きな営業利益を上げて美味しいものを買って食べて贅沢をする、しかし、その作物を育てたのは、魚を取ってくれたのは、牛を育ててくれているのは誰だ?
本当に価値があるのは、土、優れた土や水、風、空気、太陽、まさにそれは神である。
人が人の力で何かを「自分がやっている」なんて思っているようなのが大嫌いである。
 高層ビルの血の流れてない死んだ魚みたいな目した人間なんぞに何ができるか、勘違いしないでほしい、と。

農作物が育つためには、土の下の微生物やカエルなど、それぞれの小さな命の営みの連鎖によってあらゆる要素が複雑に絡みあって、奇跡が起こらないといけない。

それを壊して好き放題にビルやスーパーばかり立ててきたのはどこのどいつだと。
それはカネを生むが、それ以外には何も生まない。

そして便利になり進化したが、だからこそ、心は退化した。
結局プラスマイナスゼロなんじゃないだろうか。
ほどほどにおとなしく地球の上で慎ましく生活させてもらっているだけで感謝できればいいのに、もっと便利に、もっと気持ちよく、と、
色んなものを壊してきた。元に戻りたくても綺麗な川も畑ももうない。
誰も、気付かなかったのだろうか?調子に乗りすぎだと。
昭和と平成の同じ土地でのビフォーアフターを見たりするとすごいと思う(笑)。
やりすぎだと(笑)。

一番カッコイイのは百姓だと思う。
そのわりにえらそうにもしない。
素晴らしいじゃないですか。

本当に大事な事が何かを解っているという事が大事だと思う。


そういう感覚が今の日本に欠け過ぎている気がする。


そういえば今の実家は元々中古の家を買ったものだが、
その中の和室の一つに床の間があり、前に住んでいた人はそこに仏壇を置いていたという。
そこに、後からズケズケと入ってきた私たち家族がその床の間のくぼみにピアノを置いていた。
私は当時子供だったので、あまり気にしていなかったが、
大人になってから、
「なんか違う気がする」
という感覚が芽生えてきて、まぁ重い腰を持ち上げて今年の正月に床の間からピアノを避けて移動した。何故かその時に父親が母親に、私の入れ知恵でピアノをよけてそこに仏壇を置こうとして激怒したのだが、なんというか逆に何か呆れたというか(笑)、親といえどもカネもあれども、だけど、ただのつまらん人間だなと思った瞬間でもあった(笑)。

大事な事が解ってない。

自分は社会の中で立派にやってきたと勘違いしている一番嫌いなパターンである。
感謝はしているが、しかし嫌いである。

土地の価値も解ってない。
先祖を敬う気持ちもない。

そんな人間はいくら金をもっていても尊敬はできない。


床の間をどう使おうと、確かにどうでもいいと思う(笑)。
縁起なども、まぁそれが絶対だとは思わないしどうせ人が何かの都合で決めた架空の価値である。
しかし、だからといって神(のようなもの)に対する感謝のかけらもないのはおかしいのではないか。
もし自分の土地を自分の思うように使おうと思う場合には、気持ち的な「土地を敬う、先人を敬う」事が必要だと思う。
床の間にピアノを置くこと自体はどうでもいいと思うが、
引っ越してきた時に、
「ここはくぼんでるから丁度いい。仏壇?そんなのカンケーネー!」
みたいな自己中心的な気持ちでドーンと自分色にカスタムするのはどうかと。
挨拶はしたのかと。

確か宮沢賢治さんが何かの童話で、
森の木を切る時に、「木をもっていってもいいかい?」
と尋ねるというシーンがある。

そういうの、すごく大事だと思う。

金があるから何でもできる、
金で買った土地では何をしてもいい、
それは絶対に違うと思う。絶対に違う。

それが解ってない奴は本気で腹が立つ。

私はちなみに無宗教派で、お経も何も知らないし日蓮がどうとか法然がどうとか、
あまり知らないが、しかし、神や仏やという漠然としたイメージは沸くし、
そういう存在を漠然と意識して営む必要性というのは感じる。

確かに仏壇とは一体なんぞやといわれても、何かよく解らない(笑)。
また、「仏」とは何かも知らない。
知らなくても、まぁ別にどうでもいいとも思う(笑)。
ただ、漠然とした、何か大きなもの、エネルギー、秩序、根源というような何かに包まれて、恩恵を受けて生きているという感覚はあったほうがいいかなと思う。

難しいなら、御釈迦さんを「山田君」に変えて考えてもいいと思う。
詳しくは知らないけれど、
ようは、御釈迦さんって、すごく器の大きい優しくて強いオッチャンだったんでしょ?(笑)
で、その人の生き方を見習いたいなぁみたいなもんでしょ?多分(笑)。

釈迦とか仏とか、ちょっと現実味のない神のイメージは解りにくい。
だから仏壇の意味も解りにくい。

しかし、
「山田太郎っていう、超優しくて強い兄ちゃんがいた。だから見習おう」
「仏になる→山田になる・見習う」
「仏様→山田様」
「仏教→山田教」
「大仏→山田さんの銅像」

なら解る気がする(笑)。

大仏が何とか実際意味解りませんよね。

如来→菩薩→不動→天

などと色々あって、後になるほど、
「神」がただのフィギュアキャラクター化してる気がするのだが(笑)、
まぁなんでもいいわけですよ、
生きている事に感謝できればなんでもいいと思います(笑)。

多分、天(ビシャモンとかホテイとか弁財とか)あたりになってくるとガンダムのフィギュアと何ら違いはないレベルだと思います(笑)。
まぁそのあたりの解りやすさで庶民の心をついた空海は天才だったのでしょうか。
まぁいわばそういうセンスはエックスジャパンのYOSHIKIに似てますね。
音楽をヴィジュアルから攻めたという。
まぁ結局なかなか本質は広く伝わらず、後にその世界はどこかズレていって本質が低下したという点もアレですが(笑)。


と話が脱線していますが、
まぁとりあえず、
このお世話になった事務所にも感謝して、徐々に片付けていかなければなりませんねぇ。
やはりどこか寂しいですが、やはり私は何か動かなくてはなりません、何かを変えなければいけません。
私は決して、道楽で結構な選択をしたわけではないです。
むしろ、自分にとっては、変な言い方をすれば「面倒で危険な」道を選んだといえます。だから新しい平屋を与えてもらえた事は嬉しいと同時に、何か実は怖くもあるのです、不安です、私は目も悪いですから、普通の人よりも新しい環境は苦手です。
しかし、私は変化する事が自分で好きで、同時に苦手で、そういう二面性の中で、
自分が、正しいと思いつつも少し危険な不安な方向に自分をもっていく努力をしているのです。
私が実家があまり好きでないのは、あまりにも何も動かないし人の出入りもないからです。何より先祖を感謝できない人間がいるような空間に自分を置きたくはないですし、母親はそれを理解してくれて色々助けてくれるので本当に感謝しています。
もちろん父親にも感謝してますよ。
だけど、もう少し、何か、大事な事を解って欲しい気がする。
音楽の素晴らしさを教えてくれたあなたがなぜ今私よりも腐って歪んでいる・邪魔するのですか?いい加減に目覚めてもらいたい。
テレビに出ている成功したユニークな人は褒めても、私が人と一味違う事をすると嫌がって抑えつけようとしますよね昔から(笑)。なんなんでしょうその妬みみたいなのは。

私が一時期塞ぎこんでいた時にバンドの仲間と出会ってようやく楽しそうに人と関わって、楽しすぎて夜じゅう遊んで朝に帰ってきたら「朝帰りとかやめろ」とか、前に向かった事が嬉しくなかったのでしょうか?
今もそうですね、「人と何か関われ」とかいいつつ、平屋を貸してくれる人が現れたのに、「そんな人はどうせ無責任」とか、なんじゃそれ。テンション下がる(笑)。
いやだいたいバンド辞めてからの私の仕事って籠らないとできない仕事でしたよね。
今色んな作品があるのはあの陰気くさいレコーディングや浄書作業あってのことですから。
次はそれを人前で弾くようになるためのステップに進むわけですよね、あなた私に文句しか言わないんでしょうか(笑)、そんなに嫌いですか(笑)。
せっかく人前で弾く気になってるのに、「レパートリーが少ないと難しい」とか、
ハァ??
世界中どこ探しても無いようなオリジナル曲を自分が弾ける事が最大の売りですよね。
レパートリーなんか関係ねーよ(笑)
誰もが弾いてる曲を下手糞な自分が弾くみたいな面白くない事を私がやってどうするんだと。
枠の中にしか何かをあてはめれんのかと。
ショパンとか弾けなくても関係ないですよね、そんなの仲道郁代さんが弾けばいいですよね(笑)。
人の役割ってあるじゃないですか、色んな曲を知っててどんなリクエストにもこたえられるような楽しい系のピアニストは他にいますし私がそれをする必要はないですよね(笑)、バカじゃねーの(笑)。

それで何か失敗したら「ほらみたことか」といわれる事を怖がりながら後ろめたい気持ちで何かをやるハメになる。いつもこうですね。
気分が悪い。何か微妙な気分が漂っているので、とりあえず事務所の掃除に専念・・・・。

あー、なんか不愉快(笑)。


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1万円からのFX取引は、伊藤忠グループ・FXプライム

2011年04月01日 金曜日/00:27:58/ No.234
guruguru

記事分類:つぶやき
スーパーハッタるピアノレッスンのサイトトップ鉄鍵律の作品ページを激久に修正した。

鉄鍵律に新曲が追加されたり内容が細かく改訂されてから、数年前のピアノサイトを作った時のままになっていたので、とりあえず修正と・・・

思い返してみると、そういえば、スーパーハッタリ13ピアノエチュードを制作・販売していた数年前は今ほど動画も盛んではなく、ブロードバンドもごく一部の人しか使っていなかった感じで、数分間のmp3をダウンロードしたり試聴したりするだけで遅い回線だと数分間もかかった。
 それなのに、13エチュードの曲集本を販売開始したら、すぐに予想外に注文が色んな人からコンスタントにいただいていたのは、とてもいい思い出なのだが、まぁそれが今となっては動画もmp3も飽和・感動麻痺して、当時よりももっと大変な仕事をこなしているのに何をやってもあまり結果が大きく出にくくなった、なによりかなり飽和しすぎて自分の動画や作品も完全に「埋もれてしまってる」なぁとか勿体ないなぁとかこれからどうしようかとかしみじみ色々考えながらサイト修正・・・・

ふぅ・・・・

よく考えたら、mp3の音と楽譜の画像とテキストの力だけで13エチュードをある程度売り上げたのは凄かったな・・・・
今では動画とか色々アップしてるのに当初よりも人の反応が悪い→つまり魅力や価値は関係なく、単にやっぱり飽和した世の中で自分のコンテンツが埋もれていると(苦)。

当時はゲームの音楽をピアノやドラムで演奏した動画をアップしたりするところからYouTubeデビューを果たして、何苦労無くチャンネル登録者や再生回数がスルスルと伸びたが、
今はゲーム系は違法だし出版の相談をめぐって某ゲーム会社に私がブチギレて自分はそこが勝負する場所じゃないというのもあり全部ゲーム音楽演奏系は消してオリジナルの配信に徹する方向になったから人の寄りが悪くなったのは残酷で解りやすすぎるほどハッキリしているわけだが(笑)、しかし、今、数年前と同じ事をしても(人の機嫌とるような既存曲を演奏した動画をアップしたとしても)、あまり当時よりは再生は伸びないのではないかと思う。動画というものに対する人の感覚は当時よりも麻痺してあまり感動されなくなっているように思う。

まぁそんな中で、あまり考え過ぎると憂鬱になってきて今やってる仕事のモチベーションが激下がりになっても困るのだが、まぁ、今やってることはさっさと仕上げたいにしても、さて、それができたら、どうしようかなぁなどとボーーーッと考えたりしていますが、まったく何も思いつきませんね~(苦笑)
日本も危機状態だしなんなら海外に出て演奏活動でもしてみますか?とか(笑)、
いや、どっちにしても、ピアノはもっと上手くなりたいのは確かで、
もちろん、私は自分があまり主人公にはなりたくないしピアノ演奏などは下手糞すぎるのとライブというものの有り方に疑問があることからあまり表にも出たくないのは確かだが(笑)、
ただ、今回の地震が起きて強く思った事は、
芸術はやはり役に立たなさすぎるという絶望感と(笑)、
しかし、だからこそ、芸術・音楽の力で人の力になりたい・役に立ちたいという思いもこれまで以上に同時に強く生まれたし、やっぱり自分は音を伝えたいんだなと再認識できたわけで、まぁどういう方向に向かうにせよ、とにかくピアノの練習はもっとすべきだろなと。
 どれだけやってもピアノ演奏は才能ないから、やっぱり作品そのものが自分の売りだというのは変わりませんけど、でも、このなんともいえない役に立てないもどかしい感覚と悔しさみたいなのは何だ?と考えたら、やっぱり、伝えたい何かがあるなら、自分が表で音を出さないといけないのかとも思ったりして、とても複雑である。
 ピアノが下手糞なのは、いうまでもなく一番肝心なタイミングで習うのをやめてロックに走ってドラムと作曲に傾倒してピアノから離れた時期が長かったからだが、だからこそ、ピアノだけやってる人には作れない歴史的ピアノ作品集を作れたともいえる。
 しかし、とにかく課題が多い。
仮にピアノのテクニックが申し分なかったとしても、ライブというものには疑問がある。
これまでにも何度も書いてきた気がするが、私は私自身がライブというものを楽しいと思った事がない。ステージに立った時もそうだし客として見る時もそうだ。

ロックは、ずっと立って見るとか苦痛だし、ファンじゃないと振り付けとか解らずにつまらない、ピアノの世界はじっと座ってるだけで眠たい、眠たいのに椅子に座ってなければならない、ひどく苦痛だ。

で、私が将来人前でピアノ演奏をする時が来たとするならば、
私は、
「指定席」というものを、
「指定布団」にすることが野望である。

椅子なんて苦痛だ。
布団に寝転がって演奏を聴くのが一番に決まっている、いやむしろ、そんな真剣な顔して聴いてくださるな、何より怖い。
実際に、何故映画館が廃れてDVDのレンタルが流行るかというと、
家で好きな姿勢で鼻くそほじくりながらでもダラダラ観るほうが快適だからではないか、音楽も同じだと私は思う。

あとは、ピアノのリサイタルというのは、なぜあんなにステージと客席が無駄に遠いのか。
よく小学校とかの時に、音楽の授業が始まる前にちょっと遊びで音楽室のグランドピアノをテキトーに弾いていたらみんながピアノの周りに集まってきてワ~とか騒がれた事があったのを最近、同窓会の知らせとかきて思い出したけど(笑)、あれが理想じゃないんでしょうかね、やっぱり間近で音を聴くと全然違うのではないかと。当然デジタルピアノやCDの音なんかの比ではない力がそこにはある。

確か、宮沢賢治は音楽が好きで、興奮すると蓄音器に頭を突っ込んだ事もあったそうだが、まさにそれだ、人は、できる限り、極限まで近く、それを感じたいのだろう。
 メタルのライブでも、バスドラムの中に頭を突っ込む客がいてもいいだろうし、私が将来またドラムでステージに立つ時がきたら、積極的にバスドラムの中に頭を突っ込みにきてほしいし、それを許容できるステージライブでありたい。


でもまぁライブの何が楽しいのか全く分からない、だから私もライブをあまりやりたくない、勿論理由は他にもあるのだろうが・・・。
 だけど、確かに私は何かを伝えたいし、やっぱり生の音を伝えたくてどこかではうずうずしているのかも知れない。バンド時代に魂込めてドラム叩いてるのに散々白けた客しかいないライブを繰り返し経験してきたのもある意味プラスにもマイナスにも作用してる気がするが(笑)、とにかく、やるにも観るにも、ライブがいいとあまり思えない(笑)、でも何かがもどかしい。
テクニック面はおそらく練習の鬼になればましにはなるだろう、しかしそれでも課題は尽きない気もする。
うーーー、グルグルグルグル・・・・
目が回る頭が回る・・・・・

そもそも、日本は特に芸術が日常にまったく溶け込んでいない。
ピアノは山と生産・据え置かれているが、ピアノが置かれているような場所があっても、それは特別なイベントの時にとても上手な演奏家によってとても優雅な音しか鳴らせない(という空気がある)。
練習だってコソコソ防音してやるのが普通だし(実際に苦情がくる。下手すりゃ殺される/笑)、
もう考えれば考えるほど何かが嫌になってくるし、「あーーーー!もうどうでもいいぜ!」とかいってガンジス川とかに飛びこみたくなる。

というか、原発を廃止して、
自転車で発電する正社員をガンガン募集してほしい。
もう私はそれで就職する(笑)。
それぐらい精神的に疲労困憊していてそれを表にあまり出さずに平気な顔をしているか黙っているかそれにも疲れているのも事実。
まぁペダルこぎ発電社員で時給1500円ぐらいなら、もうそれでいいとかふと思ってしまう(笑)。
ツーバスドラムで鍛えた足で誰よりも電気を生み出して見せる(笑)。

まぁ芸術がどうとか贅沢な話ですからね、どうしても危機すぎて日本中がクワ持って百姓に回帰するならもう音楽なんてどうでもいいし百姓やりますけどね私も(笑)。

まぁ工場のラインとか鉄鋼・現場系は、私が関わると死者が出るので何がなんでもやりませんけどね(笑)。

中学生ぐらいの時に、私が半田付けで組み立てた電気回路が、出来上がってからも電気がつかないわ、手伝ってくれようとした友達が私の基盤を触って感電したことがあったり(笑)、
金属を加工してキーホルダーを作った時には、電気のこぎりを壊したり折ったりと散々でしたので(笑)。
多分、私が担当したラインの製品はいずれ爆発しますし(笑)、
私が「PC部品」とシールを張った箱の中からヘビやワニが出てきたりします(笑)。
だから私は「人の為に」工場には勤務致しません(笑)。

そこらへんも踏まえて、まぁ、音楽でどうするのかと。
まぁどうでもいいんですけど。

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2011年03月21日 月曜日/14:05:55/ No.232
カート黒背景/お布施の不思議

記事分類:つぶやき
カート
気まぐれで、くろしきレコードのショッピングカートを、黒背景にした。
元々の公式の共有テンプレートは白背景の系統しかなくて今まで白背景にしていましたが、やっぱり私は黒背景が好きというか、商品の画像とかが栄えるので、なんとかスタイルシートや背景画像などを改良して黒背景に一新。あ~めんどくさかった(笑)。
 スタイルシートとか、ドコをいじったらドコの色や画像が変わるのかよく解らんので、だいたい手探りでテキトーに(笑)。
まぁこんな感じでしょうか。

まぁ一般的には、白背景の方が「安心感がある」ので、多くの「いかにも企業サイト」みたいなサイトは大半が白背景だったりしますが、数年前の初期の段階でショッピングカートを黒背景にしていた時もありましたが、それでもちゃんと売れていたので(笑)、意外と一般の常識や傾向は関係なく、商品などのイメージなどによって、最大限にその魅力が伝わる色使い・ウェブデザインが一番よいと思います。自分のやりたいようにやるのが一番よいと思います。
 ビジネスコンサルタントなどは、おそらく「一般的には、こういうサイトはこうしたほうが売り上げが上がる・こういう色使い、こういう配置、こういう広告」とか、マニュアルやトータルの分析で指導したりしそうなものですが、
結局は、自分がやりたいようにやるほうが、中身も生き生きして、それが受け手側にも伝わると思います。
 例えば、シルバーアクセサリーを売るサイトがあったとして、
「いかにも企業サイト」っぽく、「安心感のある白背景」にするより、
私なら、黒背景で商品を見せた方が絶対に商品が栄えると思います。
 逆に、アダルトサイトだったなら、その分野が元々危ない雰囲気が漂うジャンルなので、それ系で黒背景だとちょっと詐欺とかありそうなので逆に薄いピンクか白背景の方が安心して何かそのサイトでカネを使う気になるでしょうね、あ、私はそんなの使いませんけど、まぁそういうのを運営して経営するならって話ね(笑)。

つまり、音楽や、ヴィジュアル路線のアパレル、あと照明器具とか、
そういう、元々別に怪しい雰囲気の漂わないジャンルなら黒背景でも信頼を得れると思います。
元々怪しいジャンルなら、安心させるために白背景がよい、と考えれば、
企業サイトの大半が白背景でどこにでもありそうなつまらないサイト(配色が)が多いのは不思議ですね。何かこう、自分に嘘をついているというか、人の顔色窺い過ぎというかごくごく一般的な社会を感じさせる世界はそういう雰囲気ありますよね(笑)。
やりたいようにやるのが一番魅力出ると思うんですけどねぇ。


ところで、こないだ書きましたが一定期間、東日本巨大地震の義援金として楽譜などの売り上げの全額を利用させていただきます、みたいなアレでふと思ったのですが、
全然関係ない話なんですけど、

お坊さんの「お布施」ってあるじゃないですか。

なんというか、その、無償で他者に対してお金を出すときはどういう時なのかと。

今回の災害時のように、こういう時は意外と人も優しくなったります、映画の時だけ優しくなるジャイアンみたいなものですね、何故かこういう時だけ優しいと(笑)。

災害時の募金などの場合は、ほとんど「気持ちに裏がない」とでもいいましょうか、
それに比べるとお寺や神社などにお金を出すという裏には、
「何かいいことがありそう」
というものがどこかにあるものです。

もし、かなり精神的に悟っていて、
「いや、自分は、完全無償で人の幸せを願い、投資も惜しまない」
と、もし自分で思っていたとしても、
奥の奥の奥の奥のほうでは、
どこかに、
やはり、何かやった分、自分に何か返ってくる事を0.0001%ぐらいは期待すると思うんですよね。

結局のところ、人に何かを施すと、どこかでは、何かを期待してしまう、
そしてその期待が外れると、
「あれだけ、自分は○○したのに・・・・」
と。

まぁ極端な話、
日ごろから人に超優しく、困っている人がいたら必ず助け、借金を申し込んできた人には即答で100万円を貸し、真剣な顔をして保証人を頼まれれば保証人になり、
そして、
それが全て騙され、そしてある日、無差別殺人の標的にされて死んだとします、
それでも、
「いいんだよ・・・・。自分は、みんなが幸せになれば・・・。自分を殺した人も許せる」

んなわきゃないだろと(笑)。
絶対に、マザーテレサのレベルであっても、
やっぱり、
0.000001%は、
「あんなに、○○したのに・・・」
と思うと思います(笑)。

世の中とは、やはりそういうもんじゃないでしょうかね。
宝くじには当たらないけど、
宝くじに当たるのと同じ低い確率の病気にはかかりますよみたいな残酷さというか(笑)。

まぁだからといって悪人になって「ヤリ逃げハッピー」を狙うかというと、それは違うと思いますが(笑)。

あ、話はそういうことではなくて・・・・

頭を坊主にして袈裟をきて「修業している」という事で、
例えば禅宗の系統なら「おーー、おーー」とか声出して歩いてお布施をもらうとかいうのがあるらしいのですが、
なんだか不思議だなといつも思います。

じゃぁですよ、私が音楽を一生懸命やっていてですね、
本当にそれはそれは一生懸命やっていてですね、
でもまぁ、安定した収入には繋がりにくい、しかしだからといって、
サラリーマンで土日でできそうかというと、そんな軽いもんじゃないですよね、
まぁ位置づけとしては、坊さんの修業と同じようなものですよ。
食べ物だって、私などもかなり質素ですよ、というか栄養不足して最近、年末からのアレルギー気味なのが完全に治りません(笑)、
でも、まぁ基本的には、芸術の下積み修業人なんぞに誰も援助金も出さないでしょう(笑)、そりゃそうです、ええ。

私が仮にですよ、
スネアドラムを腰につりさげて、

「おーーーー、おーーー」

とか発声して歩いたとしてもですよ、
お布施どころか警察がきて職務質問されるんじゃないでしょうか。

なぜ、坊さんだと「おーー」と発声して歩いてお布施をもらえて、
芸術の下積み人だとお布施をもらえないのでしょうか(笑)。

つまり、それは、なんというか、
目に見えない何かというか、
仏教とか、神が「裏」に存在、見え隠れしているからこそのアレといいますか。

でも芸術も案外、神的なものとの交信とでもいいますか、そういう一面がある芸術もありますね、獅子踊りとかで、頭の天辺から3メートルの角が生えた衣装を着るらしいんですが、それは、「神にささげる」という意味があるのだそうな。

じゃあ、私だって、頭に3メートルのアンテナつけて、
「私は音楽を通じて、神と交信し、そして捧げている」
ということにしまして、
バケツなんか置いて近鉄奈良駅や大阪城公園の噴水前にでも立ってみたらいかがなものかと。

やっぱり職務質問でしょうか(笑)。

袈裟のパワーすげーなと(笑)。

人間の価値・世界は面白いものです。
あ、別にお寺に対して皮肉を言っているわけではないですよ、
私はお寺とか神社とか好きなので。

まぁなんつーか、不思議だなぁと(笑)。

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2011年03月10日 木曜日/04:50:14/ No.230
価値と権力

記事分類:つぶやき
なんとも考え出すと面倒くさそうな記事タイトルですが、ま、サラッとしか書かないのでご安心を(笑)。

先週末に「狂月」のレコーディング・楽譜浄書をしてから、

メタルピアニズム練習曲集【鉄鍵律】演奏会用第一番「狂月(くるいづき)」楽譜付き試聴(YouTube)
突然、電池が切れたみたいに無気力・鬱になってしまい、
充電しなければという事で色々とアンテナ働かせたり気分転換してるところですが、
そういえば、
大学入試のカンニングのニュースで世間は妙にワイワイ楽しそうですが、
あれは、カンニングが悪いというよりも、「大学というビジネス」の営業妨害という意味で問題になっているというか警察まで動くことになったんでしょうかね。


「価値」というのは本当に面白くも厄介なもので、
私も音楽などという価値があるのかないのか解らない事を長年やっているものですから、
それはそれは価値について徹底的に考え、そして絶望し、そして、
今はある程度落ち着き、「凍りながら燃えている」「絶望しているが希望に満ちている」というバランスをもって音楽に真っすぐ向き合えるように戻りましたが、
さて、
大学、特に今回は京大ですから特に事は重大なのでしょうか。

よいとされる大学に入ることに「価値」があるからこそ、
その入試でのカンニングが問題となるわけで、
カンニング自体は個人的には別にどうでもいいというか、
何も警察が出てくる事もなかろうと(笑)。

最初、学歴社会や受験制度に対してモノ言うテロの一種だと私も思っていたので、
一個人が「普通に合格したいから」という動機でカンニングをしたというのは驚きました。
それなら本気で裏でバレないようにやればいいのにと(笑)、なぜYahoo知恵袋なんだろうかと・・・・(笑)。
やはりなんとなく変な感じが致します。


大学に価値があるというのはどういうことか考えると、
そこに入れば就職に有利→将来の収入や安定が望める
と、どこの誰が設定したのか解らないがそういう「雰囲気」で世の中は構成されていると(笑)。
つまり、その「雰囲気」によって、
さらに、
予備校、学習塾、各種教材などの価値が上がる、
さらに、そのために小学校、中学校の段階からその「エリートのレールのサンプル」が色々と用意されていて、
それらのビジネスが潤うと、まぁそういうことなのでしょうけれども。

つまり全ては相互で繋がりがあり、
大学の価値がもし下がる事が起こると、
小学校も中学校も高校も学習塾も、
何もかもの価値が同時に下がり、
それに携わる人々が皆首を吊るはめになります。
そうなると、その人の家族も首を吊る可能性が増えたり、
最終的には、極端にいえばお金の価値も下がって経済の機能不全になるでしょう。

お金を払って教育を受けているのだから、その教育に価値がないとなれば人は学校に行かなくなったりそういうものにお金を使わないようになり、しかし、
教育システムが破綻すれば、同時に「いいところに就職することが人生において重要だという架空の設定」も破綻するので、そうなると、お金の価値がものをいうことがなくなってきます。
教育は相当にビッグなビジネスですから、印刷業界やその他多数のビジネスの営業に支障が出ますね、そして何より国そのものが危うくなりそうです。

まぁだからといって、教育や、教育の価値があるおかげで何らかの秩序が保たれていると同時に、しかし、そのような架空の設定があるからこそ道徳が乱れているという裏面もあるわけで、なかなか難しいですね。

まぁ、本来は、そこまでズルい事をしてでもいい大学に入らないといけないとか、いいとこに就職しなければ人生が詰むとか、それが現実のすべてであるかのように錯覚をしてしまうような社会にも大きな問題はあるでしょうね。

就職活動がうまくいかなくて追い込まれて犯罪に走るというのは、
よく考えると可笑しい話でもあります。
追い込まれているのだろうけど、
本質的には実は追い込まれていないというか、
本当に追い込まれたら山にキノコとりに行ったり水のある場所を探したりするというのが、
本当の意味で追い込まれるということなのではないかと。

お金で追い込まれるというのは少し本当にはおかしいことであると思います。
まして、資産がマイナスで生き地獄みたいになっているならまだしも、
就職ができないという時点では、収入がゼロとか極端に低いとか、
そういうのは、マイナスよりましじゃないですかね。
そもそも、ゼロであるという事が、何もないとか、それが「低い」とかいう考え方になる事自体がおかしいです。

例えば、「開運」とか、「自分が運が悪い」とか、
よくそういう事を人は言いますよね。

しかし、何を基準に、
「運がアップした」
「自分の位置は真ん中より上だ」
とか決めるんでしょうか。

生まれつき目が悪ければ、それはマイナスだと勘違いしそうですが、
しかし、神は、手も足も耳も心臓も肺も、ほぼ満点に与えてくれているわけで、
すごく「運がいい」と私は思うのですが。

開運を祈りにお寺に行くとします。

しかし、

お寺に行けるという時点で、あなたは運が最高にいいのです。
そのための足で普通に歩けたりするんですから運がいいですよ。
運が悪ければ、途中で車に轢かれて死んでしまってお寺にたどり着けません。

つまり、お寺について手をパンパン鳴らす事ができた時点で、
もう運がかなり最強に素晴らしく絶好調なので、そのうえで願う事など何もないというのが普通な気が私は致します。


つまり、何かがゼロであるとか、何かが少ない・低い・足りない、という事に関して恐怖や不安・それが、ゼロであるとかマイナスであるとかの感覚を抱くのは、つまるところ、その正体はただの自分の欲望にすぎないという事です。
当然、社会の中での誰かの都合によって、それらの価値観は誰かによって設定されたともいえますが。

目が見えるありがたさに気付くことなく、一重か二重かを気にしたり大きいとか小さいとか、別に誰も見てもないし頼みもしてないまつ毛のボリュームアップにまで気がいっちゃって、もうそりゃ世の女性たちの無駄に忙しいことよ(笑)。

だからといって、その美容への価値が下がるような事がもし起これば、それによって首を吊らねばならないのは美容系の会社の社長や社員ですからね、やはり、それはそれで、まぁ必要な要素ということになるわけですけども。


芸術なんてのもそうですね。

私は芸術に絶望し、自分の音楽の能力や積んできた努力・その時間に対して、
本気で恨んだことがありました。
こんな社会の中で何も役にたたないものを自分が持っていて、実に自分は不幸だと、
そう本気で思って絶望し、すべてが嫌になった時期があります。

いや、実際に芸術というのは社会の枠の中では独特な寂しいポジションではあると思うわけですが、だからといって、それが不必要だとは思いません。
「それが不必要だとは思いません」
なんていっちゃうあたり、
あぁ、これが社会の人間の構造なんだなと思いますけどね(笑)。

みんな、自分のやっていることは肯定したいですからね。

しかしまぁ、私は、絶望を乗り越えて前向きになった今でも思いますよ。

芸術なんて、なんの役にも立たないと(笑)。

しかし、絶望を超える前は、それで終わりで酒を浴びたりするわけですが、
絶望を超えた後というのは、


芸術なんて、役にたたないしクソ。どうせ道楽。
しかし同時に、
芸術は最高に素晴らしいし社会の役にも大いに立てる!!


この二つの考えが同時に自分の中にあり、
凍りながら燃える、絶望しながら希望を見れる領域にやっとこれたと思います。

その、「芸術なんてクソ」みたいな絶望は捨てた方がいいのではと思うかもしれませんが、
しかし私はあえて、絶望を背負う事の重要性を身にしみて感じています。

大学なり就職の価値でもそうですが、
それがすべてだとか、
その価値は本当にあるとか、
100%、その価値に幻想を抱く確信犯の方が逆に恐ろしいと思うわけです。
実際、そのような過ぎた幻想によって自分の行動パターンを決定すると、
だいたいは歪んだ方向に進む事が多い気がします。

いい会社に就職することに本当に価値があると100%思ってしまうと、
それこそズルをしてでもなんとしてもそれを達成しようとしますよね。

ほどよく社会の仕組みや人間の業に絶望して冷めているほうが、
逆に本質を失わない選択ができるような気がします。

しかし重要なのは、中途半端な絶望ではなく、本当の絶望を味わうべきだという事です。
中途半端な絶望だと単にグレるだけになります。
笑えるぐらいの絶望を味わえば、
逆にスッキリして、何かがブッ飛んでいって真っすぐな気持ちになれるところが不思議です。
酒に酔っ払った時、中途半端にグルグル回って気持ち悪いままだと本当に気持ち悪いですが、
一気に吐いてしまった方が、その後で、妙にスッキリしてテンションが上がって、
明日に光を見る事ができるのと似ています。
酒に酔いすぎて思い切り吐いて、その後少し落ち着いてから食べるラーメンやカレーは最高においしかったですよ。

価値について冷静に判断できるように、あまり人の悪口や社会への批判もどうでもよくなってきます。
すべてが相互に作用し、すべてに価値があり、すべては必要だと解るからです。

同時にそれはイコール、すべては架空で、すべては価値など無く、すべては不必要でどうでもいいということでもあるわけですが、
どちらかといえば、せっかくだから、みんな価値があると思った方が幸せだし人を尊敬できるなぁということでしょうかね。

しかしまぁ社会の仕組みや見えない何かの壁みたいなのは問題ですけどね。


私は芸術大学も行ってないのに作編曲がサラッと出来てしまいますが、
しかし、そこは充分に自分でその立場をわきまえる必要はあります。

もし私が音楽で何か評価されても、
それは、決して、
「芸大なんて行く必要ねーよ」
なんて言ってしまうのはよろしくありません。

クラシックピアノ業界で頭角を現す人間は、
必ず、履歴がダラダラと流れたりします。
それは何故か?
芸大というものの価値や権威、
コンクールの価値ですよね。

そこらへんの歴のない人がえらく人々に評価されたりしてしまったらどういうことになるかというと、
遠まわしにいえば芸大やコンクールの営業妨害なわけですよ、
だから、私は日本や大手企業からはデビューしにくい・できないと思いますよ。
出版業界の人が妙に金銭の利害以外に履歴などを気にするとしたら、
それは逆に考えれば裏で何らかほかの業界と利害関係があるということになるでしょうね。
そういう事を考えると、自分の立場から考えて、自分には何ができそうで、何ができなさそうで、とか、何に気をつけるべきかとか、ぼんやりとは見えますよね。
異端なら異端なりのやり方や道の開き方とかがあると思います。

まぁつまり大半の物事は架空だなぁと改めて思ったりするわけですが(笑)。

まぁ野望としては、そのような社会の仕組みや風潮をひっくり返すような事をいつかは成し遂げたいとは思いますが・・・・・・
そしてそれができるのは、やはり芸術だと思うんですよね。芸術こそ、重要なんですよ社会では実は!

と、また妙に自分の分野を肯定するバカがここにいるわけですが(笑)。

いや、まぁ何度もいいますが、まぁぶっちゃけ芸術は意味ないですけどね。道楽ですよ、クソですよ、でも別にそれでいいじゃん、どうせどの業界もみんなそうなんだし(笑)。





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2011年02月25日 金曜日/21:42:45/ No.225
展望いろいろ

記事分類:つぶやき

メタルピアニズム練習曲集「鉄鍵律」の細部の改良・新曲「演奏会用第四番【最期之怪廊】」譜面浄書も完了したことなので、
後は、再び現物の本をまた作って取り扱いましょうということで、
この際、細かい部分を色々と改訂しようと色々チェック・微調整しているところです。

曲によっては微妙に音の並びやアレンジが数年前のバージョンと変わって改良したりしています。
改良であって改悪ではありませんのでご安心ください(笑)。

演奏会用第二番【幻武伝】なども、
最近アップした自演奏動画の通り、一部曲のスケールを追加した部分も正式に譜面化して曲自体をパワーアップさせようと思います。
 その他、演奏会用第一番【狂月】なども、
一部、微妙~に改訂したりする予定です。

追加する新曲の【最期之怪廊】は21ページもあるので、
この曲を追加すると鉄鍵律の曲集本が以前は80ページぐらいだったので、
100ページ前後に増えますね(笑)。
なかなかのボリューム(笑)。
以前より更に魅力ある曲集になるはずです。

これまでも何度もホラだけ立派に吹いてますが、
まぁ、鉄鍵律は世界の歴史に残すので(笑)。


あと、あれですね、
本を再び作って現物販売するのを再開するというこの機会に、
鉄鍵律のDVD-Videoも作りたいものです。

できれば全曲収録するのがいいでしょうか。
それとも、
演奏会用の4曲は全部演奏動画を収録して、
小さな鉄鍵律はチョイスしてとかでもいいかなぁとか色々迷ってます。

そして何よりビデオに収録したいのは、
曲の演奏だけでなくて、
鉄鍵律を弾くコツとか、
曲ごとの演奏の解説とかを収録できればなと思っております。
 とはいうものの、本人がミスタッチしまくってるような下手糞さだし、えらそうに講師できるほどの腕前でもありませんので(苦笑)、
あくまでも、コツとか、身体意識とか、
リズム感を養ったりドラマー的な観点から鉄鍵律を弾くためのコツをつかんだりできるような解説にしたいですね。
 というか、不思議な事に、鉄鍵律は、ミスタッチを多少しまくっても、案外ニヤリとほほ笑んで聴ける曲なんです(笑)。
いやむしろ、積極的にミスタッチをして荒っぽくした方がカッコイイと思うんです(笑)、あまりに完璧に弾いたりしたら私は、
「なんでそんなに完璧に弾いちゃうの!?(笑)もっと壊れて!!もっと外して!!」
とか説教しますよ(笑)。

 だから一音のミスも許されない繊細なクラシックピアノにウンザリして、
鼻息荒くあこがれの有名曲を弾きたいと、娯楽だったはずのピアノの生活が、いつしかストレスになってつまんなくなってきてるような人は是非、
このテキトーで爽快な鉄鍵律に足突っ込んで欲しいんですけどねぇ(笑)

ハッキリいいますよ、クラシックピアノなんて大人からやっても、
引きこもりの廃人になるぐらいの練習をしないと人に聴かせる演奏なんてできるようになりませんから(笑)。
ショパンやリストにいたっては、引きこもったって弾けるようにならない気がします(笑)。
え?何?アルカン?

アルカン挑戦しますか?
人間やめますか?(笑)



というかプロのピアニストでもほとんど廃人みたいな生活してる(してきた)のだと思いますけど(笑)。
確かあの伝説のポリーニも、朝起きてから昼の二時まで延々とピアノ弾いてたらしいですし。
もうバカですよね(笑)。

だから、私は「人間として生きたいし演奏家としての才能の欠片もないので」演奏面に関しては自分が自分の演奏を聴かせるとかそこに自分の価値を見出そうとは全く思っていませんし、だからこそ楽譜を売っているわけですから。
 自演奏の動画を録画したりしているのは、
曲の存在をある程度の説得力がある形で広めたいと思っているからで、
だから通して一曲完璧に弾けなくても分割録音でもナンでも、
とにかく曲の魅力が伝わるような動画や録音ができればそれでよくて、
それで誰かに弾きたいと思ってもらえて楽譜が人の手にわたって人に弾く楽しみを味わってもらいたいなと思っているわけです。
 「私のこの演奏を聴いて!」というのではなくて、
「この【曲】に振り向いて!」という感じですかねぇ。
まぁあまり振り向かれてなさそうですけど(笑)。

まぁ分割で弾けるなら練習しまくれば通してミス少なめに絶対弾けるわけですが、
それこそ、自分の曲のレパートリーの全てをノーミスで通して弾けるようになるためには、
そりゃ完全に引き籠らないといけないし防音室で集中的にグランドピアノでやらないといけないので、まぁそんな環境もないので、
そういう環境がないということもそれはそれで自分の縁というか運命だと思うので、
やはり私は演奏するという事の価値を自分に置くことは諦めていますし、なにより才能がないですからね。

そういう意味では、シンガーソングライターとかも私はあまり好きではないですね。
作るプロと歌うプロはやっぱり違いますから。
両方が優れていれば言う事なしですが、まぁ人間、そう三拍子は揃いませんし、揃わないからこそ面白いわけですし、人と人が助け合って世界を作っていけるわけでしょう。

だから、私はピアノ曲を作る事はできても、
それをいつでも完璧に自演できる才能も環境もないので、
演奏は誰かに委ねるというか、その役割を人にゆずることだって大事だと思うのですよね。
別に努力したくないからそんな事を言っているだけとかでもなく(笑)、
才能ってそういうもんで、ないものはないし、できるものはテキトーでもできるんですよ(笑)。
努力はしてますよ、そりゃ~自分も上手にピアノが弾けた方がよいにきまっている。
でも、やっぱりピアノ演奏の才能はないと思うのね私は(笑)。
自分の作る曲を自分が作った譜面の通りに完璧には安定して弾けないわけですからね(笑)。

そりゃそこらの趣味でピアノやってる人よりは弾けるとは思うけれども、
たとえ自分の曲の演奏のみであったとしてもリサイタルをやるような確実な技術の安定は無い。やっぱりプロというのはすごいですから。人間やめるぐらいに(笑)。
まぁ逆に私も作曲とか精神の旅とかいう分野では「半分人間やめてそれに徹してきた」わけですが(笑)。

まぁ一応「作者の自演奏のビデオも荒っぽい演奏ではあるものの、まぁ、あるっちゃーあります。」という程度で、それはそれでやっぱり本人の演奏というのも若干荒っぽくてもニヤリとできたりするし(笑)、だからこそ私は一応自演奏の動画を撮ったりする事にもある程度は積極的ですが。


逆に、演奏家として才能があって、どんな難曲でもサラリと弾けるようなすごいピアニストがいたとしても、
自作の曲を弾いた途端に素人みたいな曲しか作れないとか、
テクニックに走りすぎて音楽センスが悪かったりすると感じる事もありますが(笑)、
そりゃ無理もないんじゃないでしょうか。
それにそれはあなたの仕事ではない(あなたって誰よ?笑)。
作るプロがいるから任せなさい(笑)、仕事を奪わないでといいたい(笑)。

演奏家は演奏家だし、作る側は作る側、
人の役割は色々あって、
自分にできることとできないことを、各々が把握して、
人に役割をゆずったりするほうが世界はうまく回るのではないでしょうか。

就職にしても、企業は「優秀な人材」とか「TOEIC何点必須」とか、
もうバカじゃないかと(笑)。



と話が妙に脱線しましたが、
とりあえず、
現物の本を久々に作ろうなどという事で、なかなかテンション高めです(笑)。
表紙とかは以前の金色とかにするか変えるかは解りませんが、
まぁやっぱり現物の本ってのは買う側も嬉しいですよね。
まぁ値段は大企業が売ってるみたいな安さにはできませんけど・・・・
まぁそれをフォローするためにもDVDとかをつけたりして価格に違和感のないバランスにしたいというのもあったりで。

以前使っていた曲集の紙は、クリーム色がかった上質な紙でしたが、
淡クリームキンマリという用紙の方が明らかに安く仕入れる事ができる事が判明したので、
多分それにします。
72.5kg/m2のものでおそらく紙厚0.11mmあたりだと思うので、丁度いいと思います。
一枚あたり2円程度のコストでいけると思うので、
100ページなら紙に関しては100円じゃないですか(笑)。
まぁ問題はインクとか、金色か銀色の表紙とか自主製本の手間とかなわけですが(笑)。

まぁ手作りの高級品扱いでいいんじゃないでしょうかね。
DVD付きとかで5,000円~7,000円ぐらいでいいかなと思っています。
当然、PDF版などで2,000円程度というラインナップも設ければいいわけですし。

あ、ピアノピースは、もうある程度準備できてるんですが、
なんか他の仕事を次々と思いついてしまうために販売再開に至れません(笑)。

あ、あと、ちょっといい案を思いつきました。

とりあえず既に決まっているのは、
現物のピアノピースの価格が850円、
PDFデータのピアノピースが520円、
という事です。

現物は、本当にコストが大変なので、
別に全然詐欺なんかしてません、
いたってまっとうな価格でこれなのです。

しかし、PDFデータに関してなのですが、
これは、単品でポツンと、
以前のように290円という値のものを買う人がいた場合、
送料やコストを差し引くとあまりにもアレなので、
どちらかといえば、単品対策としての価格設定になっています。

ので、
単品で買う人は、PDF一曲520円で、
送料も振込手数料も無料だから、それ込みという事で、
まぁ許容範囲だと思いますが、
それなら、まとめて何曲かにすればコストを下げれるので、
PDFデータのピアノピース3曲で、
一曲あたりが300円にダウンする、
という方法がよいと思います。

つまり、
ポツンとPDFピアノピース一曲を買うと520円、
二曲だと1、040円、
三曲からは、一曲あたりが300円に値下がりして、
三曲で900円。

なんか、絶妙でヤラシイと思いませんか(笑)。
いや、イイと思いますよ色んな意味で。

そう、これまで問題だったのは、
500円以下の作品単品だとこっちが逆にマイナスになって困る(笑)、という事だったので、
あ、こういう手があったなと。

まぁ「二曲」が一番損なわけなので(笑)、結果、じゃぁということでついでに三曲という選択肢がうっすら頭を過ぎったりしていいんじゃないかと、あ~ヤラシイ(笑)。

二曲で1,040円なら三曲で900円がいいに決まってますよね、得ですよね。

これまでも、単品で買う人も多かったですが(特に編曲モノ………)、
逆にTAKAYAオリジナルのピアノソロ曲を買ってくれる人は何曲も同時に買ってくれたことも多かったので、それなら、3曲以上で一曲が300円に値下がりして、
一曲だけの場合なら520円でこちらもマイナスにならずにすむという事で、
みんなハッピーと。単品が割高なのは大企業がやってることでもそうですから。

そういうわけで、まぁデータPDFのほうは、優しい価格なので、
現物はコストが実際にかかっているから割り切ってまともな価格で販売します。
まぁ誰も現物を買わなくなることを覚悟の上で。まぁ「そういうラインナップがあるという事に価値がある」とも思うので。
曲集の本もそうですね。
その価格が若干高めで買う人が少なかったとしても、
そういう「現物の表紙が金色の変わった曲集本」があるという事に価値とブランド感があるわけですよ。
しかも完全手作りの。
だからコストがかかるから価格は上げて当然だし、
そしてそれが高くて売れにくくてもそれはそれで別によいというスタンス、それがブランドというものではないでしょうか。特にPDFで安いバージョンもあるのだからそれでよしと。

どこぞのラーメン屋は、確か一杯三千円とか一万円とかのありましたよね(笑)。
ああいうの、尊敬します、売れてなかったとしても尊敬します(笑)、
そういう精神というか、それでこそ商売人・提供者だと思います、自信があるからこそです。
最近の企業って、そういう精神に欠けてる気がします、弱気過ぎる。
客は神とかそういう問題じゃなくて。
正直にやったらええですやん、買う人は買うし買わない人は無料でもいらないわけだから。

だってコスト必死で下げるために嘘ついたり偽装してたら逆に客をバカにしてるじゃないですか(笑)。

無理な事はやってはいけません(笑)。
無理な事をやるから嘘ばっかりつくハメになるんじゃないですかね(笑)。

それなら、本当に心をこめた仕事して、それに見合う価格で売るべきです。
売れにくくても、です。

それぐらいの覚悟を持って、各々が本気で仕事するべきだと思います。
それはいつかきっと伝わる・報われると私は信じています。

これからの世の中は、「価値観」がキーワードになると思っています。
風を変えるのは価値観ですし、
それは、何か「大きなもの・長いもの」とかに依存するものではなくて、
むしろ、
一般大衆の点点一つ一つが変わる事が大きな何かを変えると思っています。

世の中がなんだかおかしいと、政府が悪い会社が悪いとみなさんおっしゃいます、
しかし、それは違うのではないですか、
みんなが変わる事が重要なんじゃないですか。
文句言いながらも結局は自分がカワイイし世間体も気になるしプライドもあるからと、
大きなものに巻かれるような諦めたような生き方しかせずに何が変わるのですか?

大きなものを変えようとするより、小さなものがちょっとずつ変わって、
そしてその結果大きなものが動く、変わる、新しい良き風が、輝かしい時代が、
きっとまたくるのではないでしょうか。

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1万円からのFX取引は、伊藤忠グループ・FXプライム

2010年10月24日 日曜日/14:56:04/ No.195
瑞選集/ピアノ弦箏曲集「琴線」の展望

記事分類:つぶやき
くろしきれこーどの、
ピアノピースの現物取り扱い復活や、
データPDF版のパッケージングラインナップ追加について、
色々ぼんやり考えてますが、
その中でも、
練習曲の中の人気曲以外のオリジナル曲では、
比較的落ち着いた曲調のものが売れやすい事はこれまでの売り上げの傾向で解っているので、
Gratitude紫陽花Reason、そして軍艦行進曲の四曲あたりをデータPDF版+その四曲の演奏ビデオ(そのうち前者3曲はDVD-Video「玄SHIKI」の中のビデオクリップから)をセットにしてデータ版の物質的欲求を満たしづらいそっけなさをフォローしつつもデータならではの低コストを利用してセットにしたパッケージングを考えたりしています。
これに加えて、気が向けば、DVD-Video「玄SHIKI」のエンドロールで流れる静かで且つどこか秘めたる青い炎のような情熱と希望と絶望が入り混じったような感じの曲「くろしき」も、案外癒し系なので、これを譜面化して、それもセットや単品販売してみてもいいかなぁとも考えています。そうすると五曲の楽譜データと四曲の映像とのセットで、
仮にそれが1,200円ぐらいで買えたら、なかなかいいんじゃないかなと思います。
 全体が「水」のようなイメージの曲を選んだものなので、
「瑞 選 集(すいせんしゅう)」
などとパッケージングにタイトルをつけてセットにすればいいかなとテキトーに考えました。

軍艦マーチだけ曲調が明るくてハイテンポですが、これもある意味、海軍繋がりで「水(瑞)」と関係するため、セットに加えたらよいと思った次第。
静かな曲が並ぶ中に、こういう楽しい景気のよい曲があることで切ない曲と明るい曲の両者が引き立つと思います。
 玄守鷹矢編曲の軍艦マーチピアノソロは実際、他の切ない系の曲とは別の種類の楽しさが弾いてて味わえるし、なかなか我ながら景気のよい秀逸なアレンジになってます。特に難しい事もないので基本がある程度できるピアノ弾きなら誰でも練習すれば弾けると思います。一応上の動画の私の演奏も、このアレンジを考えてから数日ぐらい練習して一曲通して弾いたものの録画なので、この下手糞な私が弾けるんだから誰でも弾けます(演奏クオリティは別として)。

3曲の売れ筋の落ち着いた系(+一曲)と、みんな知ってる楽しい軍艦マーチの楽譜と映像のセットで1,200円なら、
例えばGratitudeと紫陽花を現物ピアノピースやデータで五百円以上出して買うのと、
DVDがオマケでついて数曲のデータのセットが1,200円だと、
丁度微妙~に天秤にかけて迷う絶妙さがあると思います。
なかなかエロい値段だと思います。
現物をセットで激安にするなどというのはコスト的に不可能に近いので、
データPDFならではのコストパフォーマンスでかつ電子書籍のようなデータだけの淡白な扱いともまた違う売り方ができるというのがポイントですね。

これまでに実際にgratitudeと紫陽花を同時に二曲買ったりReasonとGRATITUDEを二曲買ったりしてくれた人もいるので、
まぁセットにして試す価値はあるかなと思います。

あとDVD-Videoの「玄SHIKI」は、これまでの売り上げ傾向からみて受けがいい曲をほとんど並べているので、これは映像作品として単品だけなく、
ここに収録されてる曲の全ての楽譜をデータでセットにしてヤケクソみたいな値段で提供してもいいかなともふと思うのですが、それだとDVD単品の価値が下がるというか意味がなくなるのも難しいところ。
まぁなかなか人が考えてる事や需要も解るようで解りませんので、ラインナップを色々増やすこと自体リスクでもあったりするんですけども、ある程度考えられる事はやってみるべきで。

あとそれからあれですね、
私は古風な箏曲がかなり好きで、
異界道-弐百八拾七段の調べ-などの「筝曲風なピアノ」の即興演奏をこれまでに録音を残した事がありますが、
このような、どちらかといえば「聴くというよりバックで静かに流すとよさそうな」、
完全癒し和み路線のピアノ演奏集を新たに創作・制作しようかなと薄々考えています。

音楽としての完成度とかピアノの演奏テクニックとか、
そういうのとは一切関係のない、重視しない、
もっと深い癒しというか、自然な中での自然な音楽というか、
そういう、音楽そのものを主張するわけではない音楽、下手に存在感を放たない自然な音楽、
バックグラウンドでさりげなく流す専用のピアノ曲集を是非作りたいとずっと思っていましたし、自分自身がそういうのを聴きたいというのもあります。だから自分が普段バックでさりげなく流れていたらいいなぁと思うようなものを自分が作ろうと思うに至ったわけです。
「曲を聴かせるような」音楽はこれまで散々飽きるほどやってきたし、かなりのクオリティを持つ作品がズラリ並んでいます。それはそれで音楽としての価値があると思いますが、楽譜も売れるから需要もあるのだろうけど、
逆に、音楽が主張しないのにその音楽が必要とされるような音楽(ピアノ演奏)もやりたいわけです、その場合は、楽譜より逆に音源を売りにするところがポイントですね。
それによって別の需要も生まれるはずです。

「じっくり聴くような音楽・音を主張する音」というのは、特に他の娯楽によって時間が奪われている現代では価値が低くなっています。
だからこそ、「ただ流れる音」というものが逆によい気がしますし、
私自身、これだけ音楽に携わってきた人間ですら、
「聴く音楽」よりも、「ただ流れる箏曲」をよく事務所などで流しています。
もちろんそれは、自分が音楽をずっとやってきたからこそ聴く音楽・主張する音楽は卒業したというか、例えば、映画監督だからといってプライベートでもカメラ回したりしているかといえば逆に全然違う事が好きで普段は映画なんて見ないとか、
プロだからこそ普段はそれと違う事をやっているほうが落ち着くというような性格もあるのかも知れませんが、
それを差し置いても、やはり、最終的には、
あまり主張のないようなものの方が「自然」で、
そういうものこそが人が本当に奥底で求めている何かなのかなと思いますし、
物が溢れているのに何も満たされない現代の傾向からも、そういう自然回帰への重要性を感じています。
そして余裕を取り戻せば、またバブルみたいに派手にドンチャン足し算みたいな生活や娯楽で溢れればいいのじゃないかと思います。
今は一旦引き算して、それからバブルのような輝きを戻せばいいと思っています。
ここまで飽和しているのにまだ足し算するような娯楽はもう求められてないと思います。
 だから一旦踊り場が必要というか、落ち着きを取り戻してから、また後で派手な娯楽やゴチャゴチャした類の娯楽を復活すればよいと。
 ずっと田舎にいると暇で都会に遊びに行きたくなるし、
ずっと都会にいると田舎でのんびり暮らしたくなる。
だから実際に一か所にとどまるよりも、
それらを行き来しながら人はバランスを調整して生きているように思います。
 娯楽の傾向もそれと同じで、
ずっとバブル時代みたいな派手で押しつけがましい娯楽ばかりに浸っていると、
逆に今度は疲れてきてそれがストレスになり、何も要らなくなる時がある、
でもやっぱり人間ってバカだから、
いざ原点回帰しても、また暇になってきて派手な事をやりたくなる、
少し落ち着いて、そしてそれに飽きたら騒いで、
それがいいんだと思います。
 現代の娯楽の有り方は少し偏りがあるというか、
そろそろ飽和しすぎて転換期のはずなのに提供する側がバブルの成長期の頃の何かが抜けきっていない、
でもみんなは心のどこかでもううんざりしてる、
携帯電話もそう、今から十年前なら、
それこそ、メールなんかも新鮮で、
携帯のメモリーは女性ばかりがズラリ数百件(バンドやってた関係もあるでしょうけど・・・)、
一日中マメにメールしたりなんやら、時には何を血迷ったか何をしたいのか知らないが裸や手ブラの写メを送ってくる女性までチラホラいましたね(別に何も頼んでもないのにですよ)、、、、
まぁどっぷり携帯電話の恩恵に浸かっていたあの楽しかった時期が懐かしいですが、
いやまぁそれはそれでかなりよかったし別に今でも変な写メなんて大歓迎ですけど(笑)、
今では別にもうそういうのはどうでもよくて逆に面倒くさく感じるようになった。

いわば、娯楽のはずのものが、ストレスになる、
とでもいいましょうか、
人間って、ほんと愚かで勝手だなぁと自分でも思うのですが、
つまり、なんというか、
今の娯楽は、どこかズレてると感じる事が多くなった。
と同時に、それは「主張する系の音楽」を主体としてきた自分の作ってきた音楽への自信なども少し揺らいでしまうようになったという現実もありますね。
まぁ、今でもそれを必要とする人はどこかにいて、実際に楽譜などが売れているわけですから、まぁそれはそれでいいんでしょうけどね。

まぁものが売れにくくなったのはお金の有る無しや不況によるものだけではないと思います、需給が一致してないようにも思うわけです。
 供給する側が利益のために押しつけているようにしか感じません。
だから、何か感動が減った、仮に何か凄いものがあったとしても、
「うーん、すごいんだけど、何か、違うんだよね・・・」
というような感じ。
人の心の変化や時代の流れを汲みとれてないような気がします。


まぁそんな中で、ちょっと、これまでの自分と全然路線の違う音源作品が一つぐらいあってもいいかなという感じで。

既存の箏曲「六段」「乱輪舌」「秋風の曲」などをピアノでアレンジしたものなども収録したいなと思っています。
こういう古風な箏曲が私はめちゃめちゃ好きなので、
それをピアノで弾いてるものを自分で作って自分でBGMで流したいんですよね(笑)。
自分がそういうのを欲しいんだから、きっと他にもそういうのが欲しい人や需要があると思います。

私がこれまでに作ってきた音楽は、すべて、「食事中に聴く気にはならない音楽」が大半でしたが、
今度は、「食事中にさりげなく流したい音楽」の音源を作りたいと。

つまり、メロディーがはっきりしない曲のほうがいいわけですね。
だから、四拍子で割り切れないような、旋律があるようでない、覚えにくくて一方通行的な
そういう曲の方がBGMには合うわけです。
箏曲が落ち着くのは、「聴こう!という気にならない」から聴きたくなるのです。
四拍子だと勝手にリズムを取ってしまって音楽に気がいってしまう。
箏曲は拍子がハッキリしないから落ち着くともいえます、
つまり、流れていてもそれが邪魔にならないのです。
逆に、「音楽として」聴く場合は、全てがよく似たような曲に聴こえてしまったり、
曲を最初から最後まで、いつまでたっても覚える事ができない、
というような特徴があります。
しかし、だからこそ、それが癒しになります。
「ただ、流れている」
のです、それに敵うものはないと思います。「最終的に」という話で、
「途中の」人であれば、やはり楽曲としてのクオリティの高い音楽への需要も当然あるわけですが。

「つい耳がそっちにいってしまう」という音楽は逆に邪魔な場合があります。
例えばベートーベンの月光第三楽章や悲愴ソナタ第一楽章を食事中や仕事の作業の間に流そうとは思わないですよね。
つまり、「浸る専門音楽」と「バックに流れる音楽」は別物で、
私はこれまでベートーベン的な音楽を提供し続けてたわけです。

だから、ちょっと違う路線を作りたいというのがありますね。
おそらく、良く似たような雰囲気の和風なのが並ぶだけになります。
というか、わざとそうしますし、それでいいのです。
個性の強い「耳がそっちに偏る」キャッチーな曲はBGMなら必要ないので。

不思議とそういうものって何度聴いても飽きないし、
何故か流したくなる。
どんなにクオリティの高い音楽より、
単純な音数の少ない箏曲が勝るという事が面白いといえば面白いですね。

これは、これまでの自分の創作物を否定しているわけではなく、
それはそれでやっぱりカッコイイし、
でもふと、落ち着いたものが欲しい事もあるから、
いいものはなんでもいいというか、
どっちもあればいいじゃん的な感覚ですね。

「空間を埋める」事を得意とした音楽スタイルの私が、
「空間」というものが主役となる音源を作るということは、
なかなか自分でも楽しみではありますね。
 まぁそこらへん、行きすぎると逆に哲学的になったりして、
ジョンケージの「3分44秒」でしたっけ?
ああいうのに走ってもまた理解不能になったりしますが(笑)。

まぁとことん、普通でサラッとした和風な、よく似た覚えにくいピアノ即興曲集が作れたらなと思っています(笑)。

それができたら遊びまくりたいところです、って前もそんな事いってましたなぁ・・・・・・・・・
いつ一息つけるのか・・・・・・
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2010年10月21日 木曜日/18:55:07/ No.194
現物回帰で経済回る

記事分類:つぶやき
 電子書籍で黒船来航で騒ぐ日本出版界について考えていて、
ふと、自分自身が勇気100%ピアノソロピース(現物)を発売した時にJASRACに初版発行部数分の印税を支払ってピアノピースを出版した事について、出版業界における「再販制度」というものがどういうものかをある程度理解できた時、
電子出版の未来がどうなるかが、なんとなく見えてきた、
そしてそれについて考えた自分がこれからとる行動や方向性・ビジョンがハッキリした。

そういえば、発行部数ごとに最初にカネが動くというのが不思議といえば不思議で、
また、そこがポイントなのだ。

私は、JASRACに最初に印税を払い、そして出版し、売れたら自分の儲けになる。
私は自分が出版社のような立場で、そこから流通ルートを派生しないで一人で売っているだけだから、そこに気付かなかった。

普通は取り次ぎを経て書店へと流通していくようだが、
その時、
新刊を発行する時に発行部数によって固定したお金が先に動く事がポイントで、
つまり、まだ売れてもないものを発行するという事実だけでお金を動かす事ができる、
つまり、再販制度があるからこそ、架空的にお金を先に動かして、売れ行きがたとえ悪くて返本の山となっても、それでも食いつないでいく事ができるということが出版業界の一種のトリックであるということに経済関連のサイトを見ていて気付いた。

つまり、私は自分がJASRACに印税を払ってそれを自分で直接ユーザーに売りさばくだけだったから、自分が印税を払っただけだが、
もし、横に取次がいて、書店へと流通ルートが繋がっている場合、
新刊を発行するという事が決定した時点で、
売れても無い出版物を取り次の仲介業者にまとめて買ってもらう事で先にお金が手に入るという事になる。
出版社、取次、書店、印刷会社などが一斉にそのカネの流れを利用して新刊を発行し続ければ、売れが悪くても、次に新刊を出せば先にお金を動かせる、一時的に架空的にお金を生み出して誤魔化しながら食いつなぐ事ができるというトリックである。

つまり、電子書籍などでデータ販売が主流となると、
現物でない為に「発行部数」という概念がなくなり、
売れてもないのに新刊を発行するだけで先にお金を回すという事ができなくなる。

それによって、出版社、取次、書店、印刷会社、全てが共倒れになる。

これは音楽でも同じように思う。
CDにも再販制度があったはずなので、
本と同様に、新譜をリリースする前にお金を動かせるのは現物ならではといえるし、
だからこそ、経済がなんとか回っていたのだと思う。
それがダウンロードとなると、発行部数という概念がなくなり、
コストがかからない代わりに、
売れなければお金にならないので、
現物を取り扱っていた方が、「誤魔化してお金を回す」事ができたはずなので、
それで音楽が低迷したのだろうか。

ダウンロードによってCDの売り上げが下がって飲み込まれたというよりも、
再販制度というものの有無が全ての鍵だったと気付いた。

つまり、合理性を追求するとお金が逆に回らなくなったと言えるのかも知れない。
逆にコストがかかったり物が実際に動く事でお金も回るので、
やはり、データ主流の世の流れは食い止めた方がよいと考えるようになった。

物が実際に転がって動くというのは、
データ主流になった現代の感覚からすると合理的でないが、
合理的でないからこそお金が回るともいえる。
つまり、合理性を追求してばかりいると、
そのうち誰もお金を稼げなくなって経済が回らなくなって治安も下がって雇用も下がって給与も下がって物も売れなくなってみんなが滅びる気がする。
無駄に物が動く方が犠牲者が少なくて済むのかもしれない。

なので、世は現物主義に回帰すべきと私は考え直す事にした。

見通しとしては、
電子書籍で考えれば、
まず、データで出版できるようになると、
出版社に本にしてもらわなくても誰でも出版ができる、
その代わり、質が低下して飽和する事になる、
データのダウンロードの市場はゴミ溜め場のようになるだろう、
そうすると人々は徐々に電子書籍やmp3のダウンロードに関心を持たなくなるだろう、
そして、
その時こそ、
出版社が出版社らしき良い本当の仕事をすべきである!!

目先の利益ではない、本当に素晴らしい、ずっと残っていくようなものに対して出版社は投資・発掘し、
それを、「現物で」売る。
それによって、
ダウンロード主流の流れを現物主義に回帰して一気に時代の風を作るべき!!

これは音楽も本も一緒!!

それ以外に現代のさまざまな混沌とした闇を取り戻す方法はない!!

ITはそのうち必ず終焉を迎える、迎えなければ世界そのものが終焉する。

何が本当に大事か今一度全世界の人間が考えるべきだ。


そういうビジョンを自分が掲げた時、
自分はどうするのかというと、
やはり、
ピアノピースなどは現物の取り扱いを戻そうと思う。
勿論データ販売も並行するし、
データならではのそっけなさをフォローするようなラインナップも考えたい。

予定では、現物ピアノピース取り扱いを復活する曲目は、
「GRATITUDE」「REASON」「紫陽花」「勇気100%」「軍艦行進曲」「黒猫フンジャッタっ!/学校のチャイムインヴェンション」
あたりの売れ筋商品。

もしかすると、データ・現物ともに50円~100円ぐらいの値上げをするかも知れませんが。


勇気100%ピアノソロピースについても、
これまで在庫切れの最中にお問い合わせくださった方々には、大変長く放置してしまっていて本当に申し訳なく思っています。
 色々検討した結果、再版の際は、やはりデータよりも現物として取り扱おうと考えています。
 その際はもしかするとこちらも当時より20円~50円ほど値上げする事になるかも知れませんがご了承ください。

やはり、現物で、無駄に不器用に非効率に物を動かすべきなのです。
なんでもかんでもデータにしてしまうと世の中が滅ぶと思います。
出版業界の再販制度というものは、業界が生き延びる術として必要な気がします。
データにすると合理的であるし、そして著者・創作者にとっては出版社を挟まなくても出版出来て印税も高くてよいのですが、
やはり、それによって多くの業界関係者が犠牲になるのは広い目で見て誰にとってもマイナスである気がします。
著者は著者で自分の目先の利益だけを考えて出版社や印刷会社を潰すような選択に走ってしまっては、おそらく最終的にやはり作り手にもそれが返ってきてしまうと思うのです、

私はもうそれこそ10年ほど前に着メロやら着うたが出だしたころから、
その流れに安易にアーティストやレコード会社が乗ってしまうと自分の首を絞める事になって音楽界が危なくなると実際に日記によく書いていましたし、実際にそうなってしまった。

やはり出版社も書店も印刷会社もあって、音楽や本の業界は成り立つと思います、
その点を著者や創作者は理解して、己の利益のみに走らずに、共に生き残る方法を考え、
出版社もいい加減本気でよい仕事をしてよいものを世に送り出す事をしてほしいし、
こちらもそういう世の流れに回帰すれば本気で仕事しますよ。

誰かを蹴って誰かが生き延びても、最後はみんなが滅びるのだから、
やはりもっと互いの共存を考えて物事を進めるべきではないでしょうか。

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2010年10月20日 水曜日/09:10:27/ No.192
「楽譜」における電子書籍の展望

記事分類:つぶやき
 日本でもぼちぼち電子書籍の端末やプラットフォームが登場しているようだが、
「独自の形式」などによって「一人勝ち」しようという傾向が見られる。
音楽もそうだが、互換性などユーザビリティを軽視したり、権利を規制しすぎると、
誰も儲からないし広がらない。そして自滅する。

奪い合うと足りなくなる、
分け合えば余る、
などと相田みつをさんの作品集で見かけた事があったが、確かにそうだ、
何故それが解らないのだろう。

己の利益に目がくらむと皆が破滅する。

日本の大手は、大手なのに器が小さい。
例えば音楽についても、
権利で縛る事で音楽そのものが売れなくなれば、
権利団体の利益だって下がるわけである。
ものがよく回転するためには、
柔軟で、共に儲けるという発想がないと自滅するだけだと思う。

そういう意味では、【真・輪音転生】などは、
現在の音楽の権利のくだらない縛りを改善させる事を提唱するようなものであると同時に、
だからと言って権利団体を敵に回そうなどとは全く思っていない、
むしろ、解放することで、
権利団体ふくめ、皆が儲かると考えているのだ。

誰かを潰して自分が生き残るのではなく、
みんなが儲かる事を、特に大手こそ、考えるべきだ。
大手にしかできないことだってある、
なのに大手のアタマが固くて新しい概念を打ち進めていく事ができないでいる、
それは長い目で見て国益を低下させる。
多少極端、半分勘違いかも知れないが、
私の音楽やそれに対する考え方は日本を救うとまで自信を持って言えるものだと思っている。


前置きが長くなったが、

 楽譜における電子書籍について考える場合、
私が販売している楽譜PDFなどの考え方は、
基本的には端末などは必要とせず、
販売の形式はPDFなどデータで販売し、
使うときは各々に好きなように印刷して使う、
という前提だ。

データで販売する意味・メリットは、

●コストが安い
●リスクが低い
●印刷サイズを自由にできるため、
 それぞれの目的に見合った印刷ができる
●何度もプリントできるため、
 注意書き、指番号のメモなど、
 各自で色々書き込む楽譜には向く。
 書き込みが増えても、いつでも新しく同じ楽譜を印刷できる
●楽譜においては、製本された曲集などは使いづらく、曲ごとに印刷できたほうが勝手がよい。

などである。

端末で楽譜の表示は小さいであろうから、
やはり、紙に印刷する方がよいだろう。

よって、電子書籍を国内外のプラットフォームで委託販売をする事の意味はさほどない。

特に、現時点で電子書籍をアマゾンなどのプラットフォームで販売する場合、
形式がそれぞれの企業が用意する端末の独自の形式であったり、寄稿する際のファイル形式がPDFなどのシンプルな形式ではなかったり、当然海外プラットフォームでは日本語に非対応など、まして日本国内のプラットフォームなどは存在すら少ない上に印税も低すぎたりするだろうから、
やはり楽譜のデータ販売としては特に委託する事のメリットや展望がないので、
しばらくは個人販売でよいだろうし、ユーザーがどの企業のどんな端末を使うのかという事にも関係しない。

要は、委託しない電子書籍出版の課題は、
データ商品特有の特徴によるメリットとデメリットを
いかに把握し、対策するかだ。

とにかく、データ商品の販売で重要なのは、
ただただ、
「決済」「価格」
である。

他をどれだけ工夫しようが、
決済が課金で容易にダウンロードできないとか、
それによって価格が上がるなどすると、
全ての他の努力が無駄になるといっても過言ではないし、
私は一時期海外プラットフォームからの委託を考えたのもそのためである。

インターネットのみでダウンロードと決済が同時に済むからである。
それ以外の野暮な販売スタイルでデータを売っても(データをCD-Rに焼いて物理発送など)、相当売りさばきにくい事は自身の経験で解っている。
下手に野暮な流通法でデータのみの販売にするより、まっとうな価格で現物を扱った方が売れる。

個人的な潜在的な感覚としては、
パソコンや端末からダウンロードでデータという商品を購入することを考える場合、
物理的なものを買う時に比べて「それに対してお金を払って買おうという感覚」がひどく低下するように思える。
基本的には、200円~400円程度でなければデータというものを買う気にはならないだろう。
それがたとえ「お金儲けができる情報商材」であっても、
それが一万二千円とか、ふざけるなというのが正直なところで、
おそらくそういう類のもので高価格なものはほとんど売れていないのではと思える。
 それなら本屋さんでビジネス関連の現物の本を2,000円ぐらいで買うというほうが多いように思う。
 とにかく、データというのは現物でない分、そのものの存在感が薄く、
それに対してお金を払う感覚が薄くなり、求める価格も低くなる。

とにかく、課金ダウンロードで200~300円程度のデータ以外は、
ほとんど全く売れないと思う(著者が有名人であれば別だろうが)。

それ以外の価格、面倒な決済法、データなのに物をわざわざ動かす流通法でデータ「のみ」を売るという事は、
現実的に考えて成功しないだろうから、その場合はプラットフォームで委託販売しかないように思う。
 もっとも、規制大好きで己の利益しか考えず印税も著作者をバカにしたようなパーセントでしかないようなくだらない大手が多い日本などでは、端末・プラットフォームともに何も期待できたものではなく、このままではアップルやアマゾンに音楽同様、また全て持っていかれる事だろうけれども。音楽業界の失敗を横目に見ながらも日本の出版社は何も学んでいない。というより、電子書籍など最初からやる気がないように見える。
何か出版業界が電子書籍に本気にならない(なれない)大人の事情でもあるのだろうか。
素人から見ても明らかに売れそうにない端末しか出ていない。
色々と神経質で技術も優れた日本の大手企業にしてはやる気がなさすぎる端末しか登場してこない事を考えると、やはり何かわけがあるのかとしか思えない。
もっとも、やる気がないなら最初から何もやらない方が経費の無駄にならずに済むと思うのだが。

電子書籍に限らず、携帯電話やスマートフォンの方面も、
何かいい加減詰んできているのに無理に開発・価値の押し売りになっているように思う。
 何か混沌としてきて、諸々の社会問題等が多発した根源でもあるそれらは、最終的には皆がその手のものから再び離れていく時代はそう遠くないかも知れない。
少なくとも私は、多機能な携帯電話やスマートフォンは要らないし、結局なんだかんだでパソコン一台有ればわりと事足りるように思う。


 そんな中でしかし楽譜の場合は、書籍の中でも比較的特異な性格をもったものなので、
工夫によって、楽譜を現物でなくデータとして扱いながらも、
200~300円などという安すぎる価格ではない、もっと利益が上がりやすいまともな価格帯で、そして課金ダウンロードでなくても売る事は可能だろう。


最近パッケージングを変更した、
鉄鍵律の曲集本PDFにおまけDVD-Videoつけたりmidiつけたやつと、
スーパーハッタリ13ピアノエチュードの曲集本PDFにおまけDVD-Videoつけたりmidiつけたやつ
鉄鍵律セット13エチュードセット

これらは、もともとは、曲集本の楽譜をPDFデータだけで売っていたもので、
その時の価格は2,300円、それだけでもある程度の売り上げがあった。

しかし、やはり現物の本で取り扱っていた時の方がよく売れたのだ。

しかし現物の本はコストやリスクが高く、また、使う側にとっても楽譜で分厚い本は必要ないように思う。

だからといって、データのみをパッケージングして売っても、現物よりも価値や存在感が下がってしまう事について、それをフォローしなおかつ魅力を上げる方法を考えた結果が、

その曲集の何曲かの演奏映像のDVD-Videoや、midiデータやmp3などのデータも収録してセットにするというやり方である。
DVD-Video単体でも売っているのだが、
それ単体で売る事にこだわると売り上げが上がらない事に気付いたので、
そこらへんも考えた結果だ。

曲集PDFにおまけ収録しているビデオクリップは、DVDビデオ単品の中から選択したクリップであり、あくまでも「おまけ」というのがポイントである。


曲集本のデータPDFとDVD-Videoで2,400円という売り方ではなく、

曲集本のデータPDFにDVD-Videoがオマケで付いて2,400円なのである。


この方が絶対に売れるし、実際にこのパッケージングにしてから間もなくすぐに反応もありちゃんと売れている。
つまり、このおまけDVD-videoの存在が、元々のDVD-Video作品の価値を下げる事無く、
且つ、DVD-Videoのビデオクリップを見てもらう可能性も上がり、楽譜PDFデータのパッケージの価値やそれへの関心も劇的に上がるのである。

これによって、データだけの商品に千円以上のお金を出す気がしないという潜在的な感覚をフォローしているのだ。
 また、このような売り方は、電子書籍プラットフォームでの委託販売でもできない売り方で、
メインはデータ商品なのに物質的な喜びも同時に味わえるというものである。
パッケージをある程度カッコよくしているのもその要素の一つである。

少なくとも、私本人がこのDVDのスリムケースを手に取り、2,400円という価格を見た時、
「買いたい。まぁ悪くはない値段だ」
と思えるレベルだとの感覚を抱いた。

自分の商品を自分で手にとってみて眺めてみて、
それをその価格で欲しいかどうか自分で考え判断し、
それで、欲しいと思えるものにする。

それで人からもある程度の反応があれば、それでよいのだということだと思う。

データ単品にして課金ダウンロードのシステムのプラットフォームに委託せずとなると、
数百円でしか売りづらく、しかし物理的に物を動かすと発送料と決済手数料で全く儲からない、だからといって発送料や決済手数料込みのような価格をつけると、
買うほどでもないと思わせてしまう中途半端な価格設定になってしまう。

だから、データ販売は、数百円で売るというのは委託・課金のみ、
それ以外ではデータ単品売りは成功しない、という事になり、
他の売り方を考えるべきである。
下手にデータでやるより物によっては現物の方が価値が上がる場合もある。

一番よいのは、データと現物を並行し、
ネットの方面では、データでも単品で課金で買えるか、課金が無理なら抱き合わせ的ラインナップを考えて価格を千円以上に設定できるようなものにする、
そして、現物の方面でも本屋に行けばそれが並んでいるというのが望ましい。

ネットでデータで売ってるものと、実店舗で現物を手にした時とでは、
それを欲しいと思う気持ちの高ぶりや衝動性が明らかに異なる。
ネットでデータで買うようなもので衝動的に二千円以上のものに手を出す気になるようなものは、アダルトコンテンツ以外に考えられないといっても過言ではない。

本能が強く衝動的に作用するもの以外をデータでしかも千円以上の価格をつけて売るのは相当に難しいのだ。
 音楽・楽譜も難しい分野だが、データ単品以外に売る方法を考えればデータでも売れるという事で、決済法が野暮で価格が500円以上のようなデータ商品は、よっぽど希少価値がある場合でなければまったく売れないに等しいと考えた方がよいので、電子書籍の出版などをプラットフォームでの委託なり個人で出版社を挟まず出版などしたいと考えている人は、そこらへんも考慮してやるべきである。


楽譜はデータならではのメリットも相当あるのでデータで売っているが、
世間が騒いでいるほど電子書籍やデジタルコンテンツは必要とされていないと感じるのが正直なところだ。
また、案外、何かを買うという事に積極的なのは、普通一般的な「客」というような立場のユーザーよりも、「何かをやってる人」がお金を出す事には積極的であるように思える。
自分が何かの利益を生むために投資をする、そしてデジタルコンテンツやそれらの端末には、そのような性格が強く出るように思える。
 デジタルコンテンツや端末で盛り上がっているのは起業家同士の空回り回転とでもいいましょうか。
一般ユーザーは案外デジタルコンテンツにカネを出さないように思う。

デジタルが主流であるという「風潮」は誰かが都合で作り出したものであると感じる。

意外と普通の「客」的な人は、現物がまだまだ好きなように思うのだ。
楽譜の場合は、たまたま「自分が曲を弾いて楽しみたい」という「体験型の欲求を満たす利益」があるから売れているだけだと思うので、
やはり、完全な受身的な要素をもつようなものを普通の客にデジタルなコンテンツで売るのは相当に難しいのではないだろうか。

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2010年10月18日 月曜日/06:01:43/ No.190
物質投資と体験投資

記事分類:つぶやき
三億円持っている。

ならばと、立派な家を建てるだろうか。

いや、要らない。

家賃三万のアパートか、
一千万以下の中古でよい。

三億持ってる人間なら家に居る時間は少なそうだ。
寝に帰るだけの空間に投資する気にはならない。
それなら毎日違うホテルに泊まるかお気に入りの旅館に入り浸る方が楽しそうだ。

つまり、物質的なものに価値を置くか横に流れる時間や体験に価値を置くかの違いだろうか。

どちらかといえば男は物質的執着や価値観を持っている傾向だろうか。

夫がガラクタ収集でニヤニヤして部屋を狭くしてゆき妻が「バカじゃないのかしら」と呆れて掃除機突ついて邪魔よどいて、なんてキーキー言ってるパターンは多そうだ。

そんな中、私は収集僻は皆無だが、昔はガラクタ集め系であった。
しかし物はずっと残るように見えるからお得なようで、しかしそうでもない。

執着しているわりに放置したり、放置してるくせに捨てるのは勿体ない、というのは、物が「生きていない」ので形はあっても無いのと同じと思うのだ。

今では音楽機材以外は何もないに近い。
その他の「ビールの泡のような」ものは足し算を繰り返す事は避け、増え過ぎないように適当に整理したり捨てたりしている。

とにかく物質に興味があまりない。
あっても飾りやアクセントとしての位置付けであって、物に価値を置いて収集したり溜め込む事はしない。

十個のフィギュアより一回の旅行、
高級列車で一夜のみの旅より
おんぼろ列車で半年間フラリ旅、
という感じだろうか。

ビールの泡が好きなのである。

一方、プラモデルのような性質を持つものは物質と体験の中間だろうか。
もし自分が、組み立てる作業そのものが快楽であって、できあがったら放置して並べてるだけみたいな自慰行為的な価値を買ってるなら、まぁせっかくだし組立終わって三日ぐらい棚に置いて写真でも撮ってニヤニヤしてるかも知れないが、そのうちティッシュにくるんで捨てそうだ。

捨てる前に写真にとるなんてのも、いかにもオタク臭い行動の典型だが、そもそも、それを残して後で見ることはあるのだろうか。実にケチくさい。
この考えはミヒャエルハネケに影響され、執着の強いケチくさかった自分にドンと痛いところをつかれて感化されたのだ、四角い画面覗いてる暇があったら、今そこに流れる現実体験を大切にする、カメラは回さないという。映画監督がそういう考えであることに説得力があった。
おかげで、私も音楽をやる人間のくせに、無駄な音楽は要らない、自然の音に勝るものはない、BGMに気をとられている暇に、自然な音や人々の感情に耳や心を傾けるべき、無駄なBGMは邪魔、などと自分の才能を否定するような事を考えるようになって困ったわけだが。
将来は、ほとんど音楽が流れないドラマの音楽プロデュースをやりたいぐらいだ。
音楽を削ってもっと大切な音を聴いてもらうという仕事を果たしたい。名主題曲を作ることがサウンドプロデュースではない。そんなのは詐欺師だ。きっとサウンドトラック売りたいだけだ。音楽は音楽、BGMはBGM。BGMに名曲など必要ない。1番聴かせる音は、キャストの生の感情や空気であって、それを増幅させてもそれは生でなくなる、だから増幅させるための豪華なインチキBGMは生の感情を潰す。無駄な音は要らない。最近のドラマもそこらへんが見ててもどかしい。

話がそれたが、
プラモデル組み立て作業が快感ならできあがりを撮った写真や物体に価値はなく、まさにご飯みたいなものだろう。

胃には限界があるのだ。

人もそうして食べて出して生きている、ものを溜めてそのままでは何かが滞る、次に繋がらない。
喫茶店のケーキを写真に撮ってブログにアップなんてのもあるが、まぁとにかくきりのないこときりのないこと。

お金もそうかも知れない。

溜め込んでも生きてこない。

何もかも手元に置いておこう残しておこうというのはただの執着で、保管・整理を徹底するならまだしも大事にしないで存在すら忘れてホコリ被ってるならなおさらである。

食べたヒレステーキがあまりに美味しかったからウンコにするなんて許せない、絶対にこれは永久保存するぞと、肛門を接着剤でフタすればどうなるかという話だ。
捨てるから次の食事が美味しいのだ。

捨てるとは生かすことだ。

物もお金も同じ気がする。

つまり、私の場合だが、
残す価値より
消えゆくけれど残る価値
というものの価値が大きいと感じるのだ。

残るというより、
染み入る、刻まれる、
目に見えないそれらの価値は大きい。
消えるから価値があるともいえる。
つまり、最終的にそれは

時間こそ最大の価値

に辿り着く。

そこに何があるかより、
そこにどんな時間や空気が流れているか。

家の値段よりもそこに流れる生活、
酒の値段よりも相手との時間。



そんな中で

さて、音楽である。

これは物なのか、なんなのか。

私はメインは楽譜を売っているが、これは物ではない。
それを練習したり弾いたりする「体験」を売っている。

そう考えると、ライブというものも体験型・消えゆく価値に属するので、そっちも並行しない手はないともいつも思うが、これはまた独特の位置にあり、旅行や外食ほどの魅力を感じない。
どこか人為的な要素が強すぎて真の癒しに繋がらない気がしている。
興味がない音楽なら鳴っていないほうがよいので、やはりライブの価値はさほど高いとは思わない。少なくとも私自身が人のライブに行って楽しかったと思った事は一度もない。
目が悪くてステージの上で何やってるのかあまり見えないせいもあるかもしれないが、仮に最前列でも退屈だろうなと思う。
だから自分もオモテに出たりしてないわけだが。
したにしても、形式にハマッたライブにはしたくないものだ。
ピアノなど特にそうで、客がクシャミもできない、演奏家はステージの袖でこれから地獄なんていうクラシックピアノみたいなライブは、はたしてそんなのが娯楽なのかと。
かといって歌謡は歌謡でピョンピョン飛んだりギターも何弾いてるかもわからないわドラムはスネアとクラッシュシンバルとバスドラしか聞こえないわベースラインも聞こえないわ歌は何歌ってるのかわからんわ歌詞も聞き取れないわで何が楽しいのかと、一・二時間突っ立って雑音箱に拘束されることが娯楽とはなかなか思いづらい。家でフィットネスマシーンで解説DVD見ながらボリュームマックスで踊ってるほうが楽しそうだ。
少なくとも興味のないライブより、松本人志開発のバカみたいなダイナミックアリゲーターでももうちょっと楽しめそうなものだ。アゴずれしてもライブのヘドバンの筋肉痛と変わらないから、それならダイナミックアリゲーターを15万で買うほうが、たとえアゴずれ症状が出ても未来への夢と可能性を感じる。


そんなわけでやはり音楽はつくづく特異な性質のものだなと思うのであった。 人気ブログランキングへ ブログランキング
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1万円からのFX取引は、伊藤忠グループ・FXプライム

2010年10月17日 日曜日/03:02:23/ No.189
ボスは真ん中のデカイ奴じゃなくて案外右側のちっちゃい奴

記事分類:つぶやき
お金が無いからお金の事を皆が考えてるのだろうけれど、こういう時代こそ違う事を考えるべきだと思っている。

紛失物を捜すとき、
捜すと見つからなくて、
捜すのやめるとありえない場所から出てくる、その感じだ。

腰が痛い時に足のツボを押すとか
呼吸が詰まるとき尻の穴を引き上げるとか
イキそうなとき足の指を反らすとか

案外、関係ないところが重要だったりする。

何もこんな低迷してるときにわざわざ音楽でどうこうやろうとしなくてもと。
しかしだからやってるんだと。
音楽茶番劇やってる退屈な奴らには興味ないが。

今、お金の事(ばかり)を考えている人や退屈な茶番劇専門貧乏出版社は五年後・十年後も貧乏だろう。

貧乏とは経済の話でなく心の話だ。



お金同様、探しものに執着しないという意味で、音楽の中に何かを探しているならそれをやめたほうがよいだろう。

だから私は明日から銀行強盗にでも勢力をそそぐべきである。
少々大袈裟だが。

極論は、
何か探しをするなら
一回ぐらい死んでみるべきである。
そういう意味で今私は一回死んでみたくてウズウズしている。

必死に自力で稼ぎだしたお金があるが、これを、
おどろくほど音楽と無関係な有り得ない事に使ってみたい。あるいは自分ではなく、誰かを喜ばせるために遣いたいともふと思う。

私は、見当違いな場所にある何かを探しているし、その旅に出るべきなのだ。
自分がコレだと思う想定内のものは全て違うと思ってよいだろうと思っている。
まずは、ご飯にヨーグルトでもかけて食べてみるか、
それとも首都高を逆走してみるか、

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