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2010年06月03日 木曜日/13:47:13/ No.100
「時間・空間・余地」という価値に敵う価値はない

記事分類:つぶやき
こないだ、
本屋・喫茶店と、CD屋・ライブハウスの共通点と相違点について記事に書いたが、

こういう事を考えていると、
やはり、
キーとなるのは、「ブランドの在り方」に尽きるという私の考え方が明確になってきて、未完組曲という概念に確信をもてる。

継続的に利益を得たり、または、人が興味を持つ・集まるものには、
確実に共通点があり、
それは、
「余地がある」
という事なのである。

人が本当に求めているものは何か、
それを勘違いすると、
「ブランドを固定して置物人形神輿商売をしてしまう」
のである。

そして、それが人が本当に求めているものではないから、
低迷したり滅びたりする。

勿論、ニッチな分野であれば、
そういう、
固定された物にブランドを置く事が最も価値を吊り上げれる事に繋がったりもする。

しかしそういうものは、長続きしない。

ライブハウスと喫茶店にしてもそうだが、
やはり決定的な違いは、

ブランドを有するものを取り扱うか、
ブランドというものを売りにしない何かを目的とする人を誘導するか、
の違いで、
利益の継続性に差が出るわけである。

喫茶店という空間に魅力があるわけで珈琲に魅力があるわけではない。
ライブハウスは、
空間そのものにはあまり魅力がなく、
魅力のあるアーティストがそこに来て初めてライブハウスの価値が出るというわけで、
そこにライブハウスや音楽出版の難しさがある。

しかも趣向が相当に分散しているので、
例え素晴らしいアーティストがいても、
それは幅広い人に対して通用するものではない。

ライブハウスとカフェを融合するとか、
ホストクラブでホストバンドを結成するなどもありますが、
やはり相当にニッチである。
ホストクラブならお酒の値段を付加価値で吊り上げれるが、
ライブハウスは特にそこまでドリンクの価値を吊り上げてもいないので、
やはり経営は難しいように思う。

それに、
アーティストというのはブランドあっての価値なので、
別に興味がない人にとっては、
いくら素晴らしいアーティストの音楽も雑音に過ぎず、
ライブハウスに例え自由にタダで出入りできて、
色んなバンドが生演奏をしていてそこで酒を飲めるとしても、
興味のない音楽なら鳴ってない方がましなので、
普通に喫茶店や居酒屋に行く方がよいという事になる。

つまり、提供するものが、
「固定されたブランド」
になると、
人は集まりにくくなるというわけである。

人は基本的に、
本当には、
決まったものを押しつけられる・決まったものを見るような娯楽よりも、
何も決まっていない自分の行動が自由にきく余地のある「空間」が好きなような気がする。

娯楽のコンテンツというのは、
究極はあってもなくてもいいものが多い。

重要なのは、固定されたものではなく「空間」「雰囲気」「時間」
という目には見えない心の快感とゆとりである。

公園のベンチ、
喫茶店、
旅館、
本屋、

どれも、
特別決まったものを見たり聞いたりしにくわけではない場所こそが、
人がもっとも求めているものがそこにあるという気がする。

それ以外のものを提供するのは実は本当は、かなり無理がありとても難しく、
いわば価値を無理に作り上げているともいえる。

価値を作らなくても人が集まるようなものは共通して、

「何もない空間」

である。

何かで埋め尽くされた、人の意思によって作られた価値を見聞きするより、
結局のところ、

「何もない。しかしだからこそそれが心地いい」

というものには敵わない。


喫茶店なら、珈琲がその心地よさ、人との楽しいくつろぎの時間の手伝いをするという感じであるが、
ライブハウスのアーティストの演奏はそういう日常性のあるくつろぎとは別物であるが故、やはりどことなく難しく、そして人が本当に求めているものからは、少し離れてしまう、ニッチだ、という事になる。

ニッチなら本来は価値を最大に吊り上げてナンボなのだが、
音楽というのはニッチでありながらも市場価格が全体的に低く、そこが商売に向かない原因だ。

なので詰まる所は、教育とか教育の中で必要となる楽器や教材という経営と並行するしかないのだろう。


まぁ人生にたとえてもアレですが、

結局、みんな死に向かってるわけだけど、
多分そこが一番快楽なわけよね(笑)。

やはり「無」に近ければ近いほど人は気持ちがよいと思う。
「有の中の無に近い快楽」が、
有の中でもっとも大きな快楽であると考える事ができる。

無になってしまうと快楽を味わう自分がそこにないので、
それは快楽とならない、
だから、有の中で無に一番近いような快楽に
人は自然と誘導されるのであろう、

だからこそ、

人為的ではないようなものにこそ人は惹かれる。
年を重ねるとその傾向は強くなるかも知れない。

何もないという心地よさの提供、
あるいは、
コンテンツを扱うにしても、
それを固定しないことが重要なのだ。

人は思っているよりも誰かが固定したブランドに触れる事が快楽だとは思っていないように思う。
何もない空間・余地があって、
そこの中で自分がどうするか、あるいはどれだけ自由にそこ空間で遊ぶ・くつろげるかが重要で、固定ブランドを押しつける事はその快楽からは逆の方向に向かう事になるので大半の「価値をある意味で強引に作り上げないと売るのが難しいようなものの商売」は厳しいという事になる。

なので音楽も、そこらへんがポイントかなと思うわけで、
何か、
ライブハウスとは違った、
「何もないのに心地い空間」
を、
特定の音楽やブランドを押しつけるというわけではないけれど
音楽の姿がそこに自然とあるというような空間が必要と思う。
ライブハウスはなんとなくもう古い気がしている。
人は今、そういうのを求めていないように思う。

だからといってそれを否定してるわけではない。
手を叩いてジャンプして頭振って照明チカチカの、
まさにどことなく人為的なその空間が好きな人もいるし、
それによって癒される人もいるだろう。

それはそれとして、
しかし、ライブの在り方がそのような形でしか存在しないというところが今後のなんらかの課題であり、
それこそ、「公衆ピアノ」「布団で寝れるライブ」とか、
私がこれまでにずっと言ってきたような音楽に触れる
わざとらしくない空間、
人が心地いいと思える空間が必要かなと思う。

その空間で何かを提供するのではなく、
その空間を提供するのである。

その中で、
その空間の中に自動販売機があり売店があり何らかのサービスがありというところを収入源とするというスタイルだ。
空間の中で固定されたものを提供してその固定されたブランド価値にお金を払わせようとするから誰もそんなとこには集まらないのである。
重要なのは空間の中のブランドに価値を用意するのではなく、
自由な空間そのものとそこでの自由な余地こそに価値をもたせるべきである。

ブランドは商売してる側が思っているよりも実は全然どうでもいい要素である事に早く気付いたもんが勝ち。
人が求めているのにはもっと根本的に大事な何かがある。

どっちにしても音楽は難しいとは思いますが、
それでも、
もうちょっと何か面白い事もできるのではないでしょうかね。

基本的に、
今の娯楽は、
人の「頭が」満たされるような娯楽である。
頭で幸せだなぁって感じるような幸せとか満たされる感じとか。

でも究極は、

人間は、頭じゃなくて身体、
身体が幸せだと感じる事が幸せだと思う。

その為には、押しつけブランドを見さされても、
それは、
頭が何かで満たされていて身体の底からはあまり何も感じない事が多い。

結局のところ、
何億円もかけて主催した人為的なライブで暴れるのと、
公園のベンチやお寺や神社でのんびりするのと、
後者の方が、
どことなく、
身体のそこから気持ちいいという気がする。

そんな事をいっていては、世の大半の娯楽が破滅するのですが(笑)、
まぁそれはそれということで、
それぞれを行き来することでバランスを保って尊い時間をいい意味で暇を潰して楽しんだり何か感じたり考えたりしているのが人生だと思うで、まぁ色々あっていいわけですが。

まぁだからこそ、やはり究極は時間と空間、そのシンプルな価値に敵う価値はないという事ですけどね。
その価値を生み出さなければならないのはお金のためですからね・・・・。
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