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2010年10月18日 月曜日/06:01:43/ No.190
物質投資と体験投資

記事分類:つぶやき
三億円持っている。

ならばと、立派な家を建てるだろうか。

いや、要らない。

家賃三万のアパートか、
一千万以下の中古でよい。

三億持ってる人間なら家に居る時間は少なそうだ。
寝に帰るだけの空間に投資する気にはならない。
それなら毎日違うホテルに泊まるかお気に入りの旅館に入り浸る方が楽しそうだ。

つまり、物質的なものに価値を置くか横に流れる時間や体験に価値を置くかの違いだろうか。

どちらかといえば男は物質的執着や価値観を持っている傾向だろうか。

夫がガラクタ収集でニヤニヤして部屋を狭くしてゆき妻が「バカじゃないのかしら」と呆れて掃除機突ついて邪魔よどいて、なんてキーキー言ってるパターンは多そうだ。

そんな中、私は収集僻は皆無だが、昔はガラクタ集め系であった。
しかし物はずっと残るように見えるからお得なようで、しかしそうでもない。

執着しているわりに放置したり、放置してるくせに捨てるのは勿体ない、というのは、物が「生きていない」ので形はあっても無いのと同じと思うのだ。

今では音楽機材以外は何もないに近い。
その他の「ビールの泡のような」ものは足し算を繰り返す事は避け、増え過ぎないように適当に整理したり捨てたりしている。

とにかく物質に興味があまりない。
あっても飾りやアクセントとしての位置付けであって、物に価値を置いて収集したり溜め込む事はしない。

十個のフィギュアより一回の旅行、
高級列車で一夜のみの旅より
おんぼろ列車で半年間フラリ旅、
という感じだろうか。

ビールの泡が好きなのである。

一方、プラモデルのような性質を持つものは物質と体験の中間だろうか。
もし自分が、組み立てる作業そのものが快楽であって、できあがったら放置して並べてるだけみたいな自慰行為的な価値を買ってるなら、まぁせっかくだし組立終わって三日ぐらい棚に置いて写真でも撮ってニヤニヤしてるかも知れないが、そのうちティッシュにくるんで捨てそうだ。

捨てる前に写真にとるなんてのも、いかにもオタク臭い行動の典型だが、そもそも、それを残して後で見ることはあるのだろうか。実にケチくさい。
この考えはミヒャエルハネケに影響され、執着の強いケチくさかった自分にドンと痛いところをつかれて感化されたのだ、四角い画面覗いてる暇があったら、今そこに流れる現実体験を大切にする、カメラは回さないという。映画監督がそういう考えであることに説得力があった。
おかげで、私も音楽をやる人間のくせに、無駄な音楽は要らない、自然の音に勝るものはない、BGMに気をとられている暇に、自然な音や人々の感情に耳や心を傾けるべき、無駄なBGMは邪魔、などと自分の才能を否定するような事を考えるようになって困ったわけだが。
将来は、ほとんど音楽が流れないドラマの音楽プロデュースをやりたいぐらいだ。
音楽を削ってもっと大切な音を聴いてもらうという仕事を果たしたい。名主題曲を作ることがサウンドプロデュースではない。そんなのは詐欺師だ。きっとサウンドトラック売りたいだけだ。音楽は音楽、BGMはBGM。BGMに名曲など必要ない。1番聴かせる音は、キャストの生の感情や空気であって、それを増幅させてもそれは生でなくなる、だから増幅させるための豪華なインチキBGMは生の感情を潰す。無駄な音は要らない。最近のドラマもそこらへんが見ててもどかしい。

話がそれたが、
プラモデル組み立て作業が快感ならできあがりを撮った写真や物体に価値はなく、まさにご飯みたいなものだろう。

胃には限界があるのだ。

人もそうして食べて出して生きている、ものを溜めてそのままでは何かが滞る、次に繋がらない。
喫茶店のケーキを写真に撮ってブログにアップなんてのもあるが、まぁとにかくきりのないこときりのないこと。

お金もそうかも知れない。

溜め込んでも生きてこない。

何もかも手元に置いておこう残しておこうというのはただの執着で、保管・整理を徹底するならまだしも大事にしないで存在すら忘れてホコリ被ってるならなおさらである。

食べたヒレステーキがあまりに美味しかったからウンコにするなんて許せない、絶対にこれは永久保存するぞと、肛門を接着剤でフタすればどうなるかという話だ。
捨てるから次の食事が美味しいのだ。

捨てるとは生かすことだ。

物もお金も同じ気がする。

つまり、私の場合だが、
残す価値より
消えゆくけれど残る価値
というものの価値が大きいと感じるのだ。

残るというより、
染み入る、刻まれる、
目に見えないそれらの価値は大きい。
消えるから価値があるともいえる。
つまり、最終的にそれは

時間こそ最大の価値

に辿り着く。

そこに何があるかより、
そこにどんな時間や空気が流れているか。

家の値段よりもそこに流れる生活、
酒の値段よりも相手との時間。



そんな中で

さて、音楽である。

これは物なのか、なんなのか。

私はメインは楽譜を売っているが、これは物ではない。
それを練習したり弾いたりする「体験」を売っている。

そう考えると、ライブというものも体験型・消えゆく価値に属するので、そっちも並行しない手はないともいつも思うが、これはまた独特の位置にあり、旅行や外食ほどの魅力を感じない。
どこか人為的な要素が強すぎて真の癒しに繋がらない気がしている。
興味がない音楽なら鳴っていないほうがよいので、やはりライブの価値はさほど高いとは思わない。少なくとも私自身が人のライブに行って楽しかったと思った事は一度もない。
目が悪くてステージの上で何やってるのかあまり見えないせいもあるかもしれないが、仮に最前列でも退屈だろうなと思う。
だから自分もオモテに出たりしてないわけだが。
したにしても、形式にハマッたライブにはしたくないものだ。
ピアノなど特にそうで、客がクシャミもできない、演奏家はステージの袖でこれから地獄なんていうクラシックピアノみたいなライブは、はたしてそんなのが娯楽なのかと。
かといって歌謡は歌謡でピョンピョン飛んだりギターも何弾いてるかもわからないわドラムはスネアとクラッシュシンバルとバスドラしか聞こえないわベースラインも聞こえないわ歌は何歌ってるのかわからんわ歌詞も聞き取れないわで何が楽しいのかと、一・二時間突っ立って雑音箱に拘束されることが娯楽とはなかなか思いづらい。家でフィットネスマシーンで解説DVD見ながらボリュームマックスで踊ってるほうが楽しそうだ。
少なくとも興味のないライブより、松本人志開発のバカみたいなダイナミックアリゲーターでももうちょっと楽しめそうなものだ。アゴずれしてもライブのヘドバンの筋肉痛と変わらないから、それならダイナミックアリゲーターを15万で買うほうが、たとえアゴずれ症状が出ても未来への夢と可能性を感じる。


そんなわけでやはり音楽はつくづく特異な性質のものだなと思うのであった。 人気ブログランキングへ ブログランキング
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