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2011年03月10日 木曜日/04:50:14/ No.230
価値と権力

記事分類:つぶやき
なんとも考え出すと面倒くさそうな記事タイトルですが、ま、サラッとしか書かないのでご安心を(笑)。

先週末に「狂月」のレコーディング・楽譜浄書をしてから、

メタルピアニズム練習曲集【鉄鍵律】演奏会用第一番「狂月(くるいづき)」楽譜付き試聴(YouTube)
突然、電池が切れたみたいに無気力・鬱になってしまい、
充電しなければという事で色々とアンテナ働かせたり気分転換してるところですが、
そういえば、
大学入試のカンニングのニュースで世間は妙にワイワイ楽しそうですが、
あれは、カンニングが悪いというよりも、「大学というビジネス」の営業妨害という意味で問題になっているというか警察まで動くことになったんでしょうかね。


「価値」というのは本当に面白くも厄介なもので、
私も音楽などという価値があるのかないのか解らない事を長年やっているものですから、
それはそれは価値について徹底的に考え、そして絶望し、そして、
今はある程度落ち着き、「凍りながら燃えている」「絶望しているが希望に満ちている」というバランスをもって音楽に真っすぐ向き合えるように戻りましたが、
さて、
大学、特に今回は京大ですから特に事は重大なのでしょうか。

よいとされる大学に入ることに「価値」があるからこそ、
その入試でのカンニングが問題となるわけで、
カンニング自体は個人的には別にどうでもいいというか、
何も警察が出てくる事もなかろうと(笑)。

最初、学歴社会や受験制度に対してモノ言うテロの一種だと私も思っていたので、
一個人が「普通に合格したいから」という動機でカンニングをしたというのは驚きました。
それなら本気で裏でバレないようにやればいいのにと(笑)、なぜYahoo知恵袋なんだろうかと・・・・(笑)。
やはりなんとなく変な感じが致します。


大学に価値があるというのはどういうことか考えると、
そこに入れば就職に有利→将来の収入や安定が望める
と、どこの誰が設定したのか解らないがそういう「雰囲気」で世の中は構成されていると(笑)。
つまり、その「雰囲気」によって、
さらに、
予備校、学習塾、各種教材などの価値が上がる、
さらに、そのために小学校、中学校の段階からその「エリートのレールのサンプル」が色々と用意されていて、
それらのビジネスが潤うと、まぁそういうことなのでしょうけれども。

つまり全ては相互で繋がりがあり、
大学の価値がもし下がる事が起こると、
小学校も中学校も高校も学習塾も、
何もかもの価値が同時に下がり、
それに携わる人々が皆首を吊るはめになります。
そうなると、その人の家族も首を吊る可能性が増えたり、
最終的には、極端にいえばお金の価値も下がって経済の機能不全になるでしょう。

お金を払って教育を受けているのだから、その教育に価値がないとなれば人は学校に行かなくなったりそういうものにお金を使わないようになり、しかし、
教育システムが破綻すれば、同時に「いいところに就職することが人生において重要だという架空の設定」も破綻するので、そうなると、お金の価値がものをいうことがなくなってきます。
教育は相当にビッグなビジネスですから、印刷業界やその他多数のビジネスの営業に支障が出ますね、そして何より国そのものが危うくなりそうです。

まぁだからといって、教育や、教育の価値があるおかげで何らかの秩序が保たれていると同時に、しかし、そのような架空の設定があるからこそ道徳が乱れているという裏面もあるわけで、なかなか難しいですね。

まぁ、本来は、そこまでズルい事をしてでもいい大学に入らないといけないとか、いいとこに就職しなければ人生が詰むとか、それが現実のすべてであるかのように錯覚をしてしまうような社会にも大きな問題はあるでしょうね。

就職活動がうまくいかなくて追い込まれて犯罪に走るというのは、
よく考えると可笑しい話でもあります。
追い込まれているのだろうけど、
本質的には実は追い込まれていないというか、
本当に追い込まれたら山にキノコとりに行ったり水のある場所を探したりするというのが、
本当の意味で追い込まれるということなのではないかと。

お金で追い込まれるというのは少し本当にはおかしいことであると思います。
まして、資産がマイナスで生き地獄みたいになっているならまだしも、
就職ができないという時点では、収入がゼロとか極端に低いとか、
そういうのは、マイナスよりましじゃないですかね。
そもそも、ゼロであるという事が、何もないとか、それが「低い」とかいう考え方になる事自体がおかしいです。

例えば、「開運」とか、「自分が運が悪い」とか、
よくそういう事を人は言いますよね。

しかし、何を基準に、
「運がアップした」
「自分の位置は真ん中より上だ」
とか決めるんでしょうか。

生まれつき目が悪ければ、それはマイナスだと勘違いしそうですが、
しかし、神は、手も足も耳も心臓も肺も、ほぼ満点に与えてくれているわけで、
すごく「運がいい」と私は思うのですが。

開運を祈りにお寺に行くとします。

しかし、

お寺に行けるという時点で、あなたは運が最高にいいのです。
そのための足で普通に歩けたりするんですから運がいいですよ。
運が悪ければ、途中で車に轢かれて死んでしまってお寺にたどり着けません。

つまり、お寺について手をパンパン鳴らす事ができた時点で、
もう運がかなり最強に素晴らしく絶好調なので、そのうえで願う事など何もないというのが普通な気が私は致します。


つまり、何かがゼロであるとか、何かが少ない・低い・足りない、という事に関して恐怖や不安・それが、ゼロであるとかマイナスであるとかの感覚を抱くのは、つまるところ、その正体はただの自分の欲望にすぎないという事です。
当然、社会の中での誰かの都合によって、それらの価値観は誰かによって設定されたともいえますが。

目が見えるありがたさに気付くことなく、一重か二重かを気にしたり大きいとか小さいとか、別に誰も見てもないし頼みもしてないまつ毛のボリュームアップにまで気がいっちゃって、もうそりゃ世の女性たちの無駄に忙しいことよ(笑)。

だからといって、その美容への価値が下がるような事がもし起これば、それによって首を吊らねばならないのは美容系の会社の社長や社員ですからね、やはり、それはそれで、まぁ必要な要素ということになるわけですけども。


芸術なんてのもそうですね。

私は芸術に絶望し、自分の音楽の能力や積んできた努力・その時間に対して、
本気で恨んだことがありました。
こんな社会の中で何も役にたたないものを自分が持っていて、実に自分は不幸だと、
そう本気で思って絶望し、すべてが嫌になった時期があります。

いや、実際に芸術というのは社会の枠の中では独特な寂しいポジションではあると思うわけですが、だからといって、それが不必要だとは思いません。
「それが不必要だとは思いません」
なんていっちゃうあたり、
あぁ、これが社会の人間の構造なんだなと思いますけどね(笑)。

みんな、自分のやっていることは肯定したいですからね。

しかしまぁ、私は、絶望を乗り越えて前向きになった今でも思いますよ。

芸術なんて、なんの役にも立たないと(笑)。

しかし、絶望を超える前は、それで終わりで酒を浴びたりするわけですが、
絶望を超えた後というのは、


芸術なんて、役にたたないしクソ。どうせ道楽。
しかし同時に、
芸術は最高に素晴らしいし社会の役にも大いに立てる!!


この二つの考えが同時に自分の中にあり、
凍りながら燃える、絶望しながら希望を見れる領域にやっとこれたと思います。

その、「芸術なんてクソ」みたいな絶望は捨てた方がいいのではと思うかもしれませんが、
しかし私はあえて、絶望を背負う事の重要性を身にしみて感じています。

大学なり就職の価値でもそうですが、
それがすべてだとか、
その価値は本当にあるとか、
100%、その価値に幻想を抱く確信犯の方が逆に恐ろしいと思うわけです。
実際、そのような過ぎた幻想によって自分の行動パターンを決定すると、
だいたいは歪んだ方向に進む事が多い気がします。

いい会社に就職することに本当に価値があると100%思ってしまうと、
それこそズルをしてでもなんとしてもそれを達成しようとしますよね。

ほどよく社会の仕組みや人間の業に絶望して冷めているほうが、
逆に本質を失わない選択ができるような気がします。

しかし重要なのは、中途半端な絶望ではなく、本当の絶望を味わうべきだという事です。
中途半端な絶望だと単にグレるだけになります。
笑えるぐらいの絶望を味わえば、
逆にスッキリして、何かがブッ飛んでいって真っすぐな気持ちになれるところが不思議です。
酒に酔っ払った時、中途半端にグルグル回って気持ち悪いままだと本当に気持ち悪いですが、
一気に吐いてしまった方が、その後で、妙にスッキリしてテンションが上がって、
明日に光を見る事ができるのと似ています。
酒に酔いすぎて思い切り吐いて、その後少し落ち着いてから食べるラーメンやカレーは最高においしかったですよ。

価値について冷静に判断できるように、あまり人の悪口や社会への批判もどうでもよくなってきます。
すべてが相互に作用し、すべてに価値があり、すべては必要だと解るからです。

同時にそれはイコール、すべては架空で、すべては価値など無く、すべては不必要でどうでもいいということでもあるわけですが、
どちらかといえば、せっかくだから、みんな価値があると思った方が幸せだし人を尊敬できるなぁということでしょうかね。

しかしまぁ社会の仕組みや見えない何かの壁みたいなのは問題ですけどね。


私は芸術大学も行ってないのに作編曲がサラッと出来てしまいますが、
しかし、そこは充分に自分でその立場をわきまえる必要はあります。

もし私が音楽で何か評価されても、
それは、決して、
「芸大なんて行く必要ねーよ」
なんて言ってしまうのはよろしくありません。

クラシックピアノ業界で頭角を現す人間は、
必ず、履歴がダラダラと流れたりします。
それは何故か?
芸大というものの価値や権威、
コンクールの価値ですよね。

そこらへんの歴のない人がえらく人々に評価されたりしてしまったらどういうことになるかというと、
遠まわしにいえば芸大やコンクールの営業妨害なわけですよ、
だから、私は日本や大手企業からはデビューしにくい・できないと思いますよ。
出版業界の人が妙に金銭の利害以外に履歴などを気にするとしたら、
それは逆に考えれば裏で何らかほかの業界と利害関係があるということになるでしょうね。
そういう事を考えると、自分の立場から考えて、自分には何ができそうで、何ができなさそうで、とか、何に気をつけるべきかとか、ぼんやりとは見えますよね。
異端なら異端なりのやり方や道の開き方とかがあると思います。

まぁつまり大半の物事は架空だなぁと改めて思ったりするわけですが(笑)。

まぁ野望としては、そのような社会の仕組みや風潮をひっくり返すような事をいつかは成し遂げたいとは思いますが・・・・・・
そしてそれができるのは、やはり芸術だと思うんですよね。芸術こそ、重要なんですよ社会では実は!

と、また妙に自分の分野を肯定するバカがここにいるわけですが(笑)。

いや、まぁ何度もいいますが、まぁぶっちゃけ芸術は意味ないですけどね。道楽ですよ、クソですよ、でも別にそれでいいじゃん、どうせどの業界もみんなそうなんだし(笑)。





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